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2008年5月16日
人は旅をして気をもらう (4) 鳴門
旅
§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑨ 大塚国際美術館
19世紀後半に活躍した、ギュスターヴ ・ モローは、マチスとルオーの指導者として有名である。サロメに関する絵の方は以前に、ある雑誌でみたことはある。その絵はユダヤ王の姪サロメがバプテストのヨハネの首を所望し、断首され血のしたたり落ちている頭部を吊るしていた。大塚国際美術館のモローの 『 オルフェウス 』 でも、八つ裂きにされたオルフェウスの首と竪琴を思い深げに見つめるトラキアの巫女が描かれている。モローが何を表現したかったのか、気になる絵である。またモローは、 『 一角獣 』 という珍しい伝説上の動物をも描いている。モローは優れた教師であったという表記を2~3読んだことがあるが、これらの絵と教師ということが、私の中ではどうしても結びつかない。その意味では気になる画家である。
20世紀にはいると、さすがに親しみやすいというか、既視感をもって観ることができる絵が多い。その一番がパブロ・ピカソである。
地上2階の芝生に面した広間には、かの有名な 『 ゲルニカ 』 が展示されている。これは、ゲルニカの町に対するナチス ・ ドイツの無差別攻撃に衝撃を受けたピカソが、わずか1ヵ月、パリ万国博覧会のスペイン館の壁画として仕上げたという。ピカソの激しい戦争に対する、否、ナチス ・ ドイツに対する怒りが大画面一杯に表現されている。また、ピカソの他の陶板画は、初期から晩年までが系統的に展示されており、その画風の変化を追って観ることができ、面白かった。私の記憶に残っている、いわゆるピカソの青の時代のものはここには展示されていなかった。
100才まで生きたミロの絵は何か楽しい。マチスの絵が一点もなかったのは、マチスの子供や孫たちが許可しなかったせいなのか? ルオーの画も一点しかないのには、何か事情がありそうである。
ダリやエルンストの絵は象徴主義的表現をしているが、私にとっては、気味が悪い部類に属している。
最後は、テーマ展示で、1 空間表現 2 だまし絵 3 時 4 生と死 5 食卓の情景 6 家族 7 運命の女 8 レンブラントの自画像 という形で、展開されている。
1 の “ 空間表現 ” の中では、クロード・ロランの 『 シバの女王の上陸 』 という初めて観る絵があったが、奥行きのある表現がすばらしかった。
2 の “ トロンプ ・ ルイユ ( だまし絵 ) ” の部では、チャールズ ・ ウィルソン ・ ピールの『階段の人物 』 は、思わず、その階段に引き込まれそうな錯覚に陥った。
3 “ 時 ”の中に、ポール・ゴーギャンの絵が一幅あった。その標題は、 『 われわれは何処から来たのか? われわれは何者であるのか? われわれは何処へ行かんとしているのか? 』 で、哲学的である。例のブルー、ピカソやゴッホの青の時代の青より澄んだ青を画面の部分部分に塗っており、これが何を表現しているのか、今の自分には判らない。彼の哲学が奈辺にあったのか、いずれ調べてみたいと思う。この澄んだ青 ~ 空色で何を表現したかったのかを。
4 の “ 生と死 ” の項では、絵画に描かれたさまざまな時代の死生観が展示されていた。ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) の『 死の勝利 』 は、戦争への強い批判と抗議が封じ込められている。
5 の “ 食卓の情景 ” では、ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) の『農民の婚宴』は、この時代 ( 16世紀半ば ) の人々の生活を活写していて面白いし、ルノアールの 『 ボート遊びの人々の食事 』 は、ひどく明るく楽しそうな食事時の情景が描かれている。ルノアールの遊んでいる集団の絵は思わず人をひき込むような雰囲気があり、観る側まで何かウキウキさせる。
6 “ 家族 ”、 7 “ 運命の女 ” の項はそれ程面白くもなかった。観る側が疲れてきたせいなのか。
8 はレンブラントの自画像14枚、年齢順に並べていて成る程という感じで観れる。やはり、自らの過去の変遷を自画像を通して観ることができるのは、画家にとっては、現代の写真で自らの過去を振り返る意味と等しいかもしれない。しかし、絵では、その時の精神状態をも込めることが可能なので、写真よりも数倍あるいはそれ以上の価値があるのかもしれない。
壮大な偽物絵画展の物語は本日で終りです。
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