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文六つうしん

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2008年5月14日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑦ 大塚国際美術館

 近代…18世紀にはいると画風がまた一段と変ってくる。
 ここには、ターナー、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ムンクなど約330点が展示されている。この時代の絵は、教科書や美術館、あるいは新聞やテレビなどでお馴染みのものが多い。少しは絵画に興味ある多くの日本人であれば大概知っているのであろう絵がほとんどである。私がそう想ったのは何で?と、考えてみたら、実は小生が日本経済新聞の日曜版の美術特集でしばしば出くわしていたからである。
 このフロアには、特別にゴヤの “ 黒い絵 ” の環境展示がなされており、順路の手前に 『 裸のマハ 』 『 着衣のマハ 』 があったので、その落差にビックリしたが、演出の憎さをも感じた。
 歴史的一瞬を一枚の写真のように描いているのも、この時代の特徴かもしれない。ダヴィッドの 『 皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠 』 はその一端である。一室の壁全面を占める ( 621×979 cm  ) 華やかな場面を描いたもので、現在でいう集合写真、セレモニーの一瞬を写真にとったような絵で、これはナポレオン1世がえらく気に入っていたものらしい。支配層の人々の晴れがましい表情にあふれている。しかし、その華やかな絵の隣りには、ジェリコーの 『 メデュース号の筏 ( いかだ ) 』 がかけられており、私はこの絵の方に気持がひかれた。これも大きな絵 ( 491×716 cm ) で、1816年に実際に起きたメデュース号の遭難事件を題材にした油彩画である。漂流生活の疲労困憊 ( ひろうこんぱい ) の中での、救助船の船影に驚喜している生者の動と、すでに死んでしまった同僚を抱えて虚脱状態に陥っている壮年者と息絶えた男と女の状態の静がみごとに表現された絵である。映画の一場面をみるような絵で、記憶に生々しく残るシーンである。
 同じように歴史の一瞬とおぼしき光景が描かれているのが、ドラクロアの 『 民衆を導く自由の女神 』 である。中学校の教科書でも見たような気もするが、高校2年の時の世界史の教科書に掲載されているのを覚えている。その時、革命の先頭には女性が立っていたのか?とその時は単純に感動した。すごいことだなぁと幼いながらも驚いてしまったことを想い出させる絵であった。それは、私が過ごした中学生の頃の時代は、学校の廊下を歩いている時、向い側から女性が歩いてきている時には、男子生徒が反対側に寄って歩くという時代であり、精神的にも極めて未熟であったからである。
 アングルの 『 泉 』 。頭ごしに水のはいった壺から水を落としている画面や、コローの叙情性豊かな詩的な風景画もどこか幼い時の記憶に残っている。それにミレーのかの有名な 『 落穂ひろい 』 は、当時はひどく貧富の差が激しかったことを物語っている。豊かな農民が、収穫を終えた後、貧しい農民が収穫のあとのおこぼれにあずかるという絵だが、当時、そこまでの社会的・階級的落差や格差を描かれているのだということを教師より教えられたという記憶はない。
 ターナーの 『 テメレール 』 はかのトラファルガーの戦いで、勇名をはせた大英帝国海軍の誇りとした戦艦でそれを描いている。また、『 雨、蒸気、速力 : グレート・ウェスタン鉄道 』 は、速度を筆で表現したということで有名な絵であり、この2つの絵は、深く記憶に残っている。列車が、観る者に突進してくるような迫力と空気がある。 “ 速度 ” を筆で描きみる画家は世界広しと言えども、そう多くはないと想う。
 クールベは、『 画家のアトリエ 』 の中で、《 画家の使命は、同時代の風俗、思想、習慣を描き、生きた芸術を産み出すことである 》 と主張している。当時、“ 写真家 ” の哲学をもっていたのであろう。ここでは、ミレーと同じように下層階級の人々の労働にくたびれきった人々をも、そうでない文学者などとともにカンヴァスの中で同居させている。

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