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文六つうしん

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2008年5月13日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑥ 大塚国際美術館

 ルネサンス期からバロック期に移行すると絵の雰囲気がガラッと変ってくる。美術史家がルネサンスとバロックという形で分類していることがよく解る。ルネサンス期はキリスト教から離れた絵を描けなかったが、バロックになると絵に市民が登場し、風景が出てくる。様々な形で市民の顔がカンヴァスの中で現われ、中には、観る者が見られているという絵も沢山ある。
 レンブラントの 『 夜警 』 は、光と影がまるで舞台の中での一場面のように躍動する人々が描かれている。
 イタリアのルネサンスから、ヨーロッパ全体への拡がりをもって絵画界が変容して行ったのは、何が要因だったのだろうか。レンブラント、フェルメール、ホッベマなどのオランダがとりわけ傑出していたようだが…。
 フェルメールの絵は人物を描いたものしか知らなかったが、『 デルフトの眺望 』 は、透明感のある、一寸の隙(すき)もない風景画で、観る者に迫ってくる空気を感じさせる。ホッベアの 『 ミッデルハルニスの並木道 』 は、何度が、中学・高校の教科書その他でお目にかかっており、親近感を覚えたが、素人の悲しさで、そこで終ってしまう。フェルメールの絵とホッベマの絵のどこがどう違うのか判らないが、観る側に迫って来るのはフェルメールの方が強い気がする。それが技量というものか?
 庶民の饗宴を描いたり、養老院の女理事たちの実在感のある絵もある。他方で、絶対君主制を象徴する王や皇太子あるいはその家族などを描いているベラスケスもまたこの時期に属している。
 ベラスケスの 『 ラス・メニーナス (女官たち) 』 は、よく話題となる絵だが、ベラスケス自身もこの絵の中に描かれているが、その品性を臭わせている。
 他方、ベラスケスの半世紀程前の時代、スペインではエル・グレコが活躍している。宗教画を主体にしていたのか、そしてその中のキリストの面長の顔は、一目で忘れられない絵となっている。
 ベラスケスに遅れる頃1世紀半後のゴヤは、“ 聾者の家 ” に移る十数年前には 『 裸のマハ 』  と 『 着衣のマハ 』 を描いている。この時期のゴヤの絵は “ 黒い絵 ” とは全く正反対に位置する華やかさで輝いている。そういう点で、ゴヤの内面に立ち入ったゴヤ論でも読みたくなってきた。 『 裸のマハ 』 は宰相ゴドイの要請で描かれたといい、着衣の方が数年後に描かれたというが、着衣の方がモデルそのものに余裕があるというのか、裸の方は画面が何となく緊張している感じがする。宰相の命令で緊張していたのだろうか? “ 黒い絵 ” からすると 『 裸のマハ 』 はゴヤ自身あまり描きたくなかったのか? という気もする。
 しかし、このような形で、書き記して行くと、よくもまあこれだけの絵をあきもせず観て来たものだと自分自身でも驚いている。

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