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文六つうしん

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2008年5月 5日

生き場所づくり (2)

エッセイ 1

§ 二つのいのちを扱う危険性 ②

 今、それがこの日本で起ろうとしています。 “ 脳死 ” を前提とした臓器移植の立法化の動きがそれです。この問題の核心は、三つあると思います。

  1. “ 脳死 ” はひとの個体の死か?
  2. “ 二つの生命体を同時に扱う医療 ” は医療とよべるのか?
  3. 臓器売買は許されるのか?

 私は “ 脳死 ” は個体の死ではないと思います。 “ Point of  No  Return ” は一つしかありません。従来の死の概念 ― 死の三徴候 ― で私たちが困ることは何一つありません。逆に、 “ 脳死 ” の判定基準は、世界各国ですべて異なり、科学的に統一されたものは何一つ存在しません。ひとの死は、あくまでも1回こっきりで、2回あるということ自体がおかしな話です。 “ 脳死 ” という < もう一つの死 > は、 < 生き生きとした若い新鮮な臓器を必要とする心臓移植 > などの臓器移植を行なうために、そして、移植を行なう医師の免罪のために必要とされるのです。これこそ、 “ 便宜的な死 ” の設定でしかありません。
 ちなみに、 “ 脳死 ” を前提とした臓器移植推進派の医師たちは、“ 老衰 ” に近い高齢者の “ 脳死状態 ” を語ることは決してありません。これを語り始めると、 < 移植される臓器は、生き生きとした若い新鮮な臓器でなければならない > という前提が崩れてしまうからです。


*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 12 1993.12

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