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2008年5月24日
死に場所づくり (2) - 2
エッセイ 2
§ “地域医療の本質” ②
それ ― 私の医療観 ― が
大転換させられたのはつい3年前であった。自転車操業のような診療に追いまくられ、老人たちとじっくり付き合うこともなく、患者さんをさばくことに終始していた。
大転換は、1980年の開院から10年後の、1990年7月に老人保健施設陽光苑を開設していからである。地域医療計画の情報非公開の中で、1987年予定していた増床計画が潰れ、一日400人を越す外来患者さんを分散化するため、病院からそれぞれ8キロ、30キロ離れた場所に二つのサテライト診療所を開設した。しかしながら、それでも患者さんをさばくことができずに、「しゃあない老人保健施設でも(今はそう思っていないが)創るか!」と一念発起してその建設準備にとりかかったのが1988年2月である(大分県地域医療計画策定の月)。どうせ創るのであれば、少しばかり不採算な空間があったとしても “ ゆとり ” のあるものをと考えた。赤字を出さないギリギリの線まで建築コストを下げた設計となった。空間が人間の価値観・想像力をこうも変えるのか! という想いを抱かせるほど、この陽光苑は私自身にとってさえ衝撃的であった。
でき上がり、入所が始まり、回診が始まり、私の部屋をこの3階に設け、その空間の空気を毎日吸い続けている中で感じたのは、「やっぱり病院は収容所だ!」ということであった。私自身の貧弱な病院観・医療観が何か音を立てて崩れて去っていくのを感じた。そいういう中での私の一つの総括が、「黄門様と相撲を愛する老人たちへのやすらぎの場としての医療・福祉」という視点である。病院に収容されてぼけ(医原性痴呆?)ていた老人が、陽光苑にはいるといつの間にかそのぼけがとれ、病院内で半ば寝たきりであった老人が歩き始めたりするのを眼のあたりにsるうと、高齢者の施設医療・福祉を行なうとすれば、やはり “ やすらぎの場 ” としての施設でなければならないと、私の中でますます鮮明になってきている。私も少し高齢者の気持ちがわかり始めたのかもしれない。50歳に達しはじめて気づいたときは遅きに失したのかもしれないが、その分余計に長生きをすれば、もっとましな高齢者の医療・福祉を提供できるかもしれないと自らを慰めている。
*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 10 1993.10
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