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2008年5月20日
死に場所づくり (1) - 1
エッセイ 1
§ 「水戸黄門」と老人たち ②
現在、21世紀の保健・医療・福祉に関わる議論がかまびすしい。超高齢社会へ準備としてのそれとともにその財源をどう捻出するかということでとりわけかまびすしい。
私はそのような議論の中で決定的に欠落していることが一つあると思う。超高齢社会へ向けての準備は高齢者予備軍が主体であるので、自らの老後として捉えている限りにおいては別に批判されるものではあるまい。また、財源論にしても、老人に対して支出される枠を拡げないという前提の議論であればあるほどそれはかまびすしくなるのは理の当然である。しかしいずれも、当の高齢者の立場での議論は極めて少ない。否皆無のような気がしてならないのである。
明治の人たちはその国創りに際し100年後の願望を三つ述べたという。100年後には世界で一番学問教養のある国になりたい。100年後には世界の一番長寿の国となりたい。100年後には世界で一番分限者の国になりたい、と。今それは曲がりなりにも達成されている。しかし、その曲がりなりにも達成されている世界一の教育・健康・経済の中身が今問われているのではなかろうか? いずれにも魂がない。一貫した哲学がそこにはない。人間の心の琴線にふれる教育や医学・医療あるいはやさしい環境はむしろ置きざりにされているのではないのか?
*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 9 1993.9
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