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HOME > 文六つうしん > 2008年05月のアーカイブ

文六つうしん

2008年05月のアーカイブ

2008年5月29日

「2010年 その時私は」 (97年8月発行の単行本から) 下

エッセイ 2

§ ある日突然に(下)
*この本は、67人が1997年から10年後の自分を想像したフィクションです。


 その時、私はX理事の話を聞きながら、

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2008年5月28日

「2010年 その時私は」 (97年8月発行の単行本から) 上

エッセイ 2

§ ある日突然に(上)
*この本は、67人が1997年から10年後の自分を想像したフィクションです。


 2010年、私は67歳である。
 

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2008年5月27日

見る・観る・聴く・嗅ぐ (25)

エッセイ 2

§ 石川一雄氏の冤罪をはらせ!

 5月25日、街宣を11:30~12:30 行ったが、

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2008年5月26日

見る・観る・聴く・嗅ぐ (24)

後期高齢者医療制度

§ 保険制度の一本化を

 5月25日、大分市中心街のトキハデパートの前、

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2008年5月25日

死に場所づくり (2) - 3

エッセイ 2

§ “地域医療の本質” ③

 「死に場所づくり」という一句が私

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2008年5月24日

死に場所づくり (2) - 2

エッセイ 2

§ “地域医療の本質” ②

 それ ― 私の医療観 ― が

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2008年5月23日

死に場所づくり (2) - 1

エッセイ 2

§ “地域医療の本質” ①

 この標題の 「 死に場所づくり 」 という

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2008年5月22日

死に場所づくり (1) - 3

エッセイ 1

§ 「水戸黄門」と老人たち ④

 生存することで精一杯であった

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2008年5月21日

死に場所づくり (1) - 2

エッセイ 1

§ 「水戸黄門」と老人たち ③

 21世紀の保健・医療・福祉を語る方々は、まず今の高齢者がどういう人生を送って来た人々だったのか? ということを改めて認識する必要があると思う。
 日本が第二次世界大戦に敗北したとき、相撲を愛し、水戸黄門を愛す老人たちは一体何歳だったのだろうか? 敗戦の年に20歳だった人は今68歳、30歳だった人は今は78歳、40歳だった人は今は88歳。大部分の庶民は予想だにしていなかった敗戦という事実にそれこそただ呆然となり、一時は生きる希望すら持てなかったという状況から、それに伴う社会的混乱と食糧難の時代を懸命に生き抜いた人々 ―― このような世代の人々が、今日ある世界一豊かな国日本の礎 ( いしずえ ) を築いてくれたという事実を私たちは決して忘れてはならないのではなかろうか? ( このような時代をかいくぐって大儲けした人々は国や私たちが何もしなくとも生きてゆくには十分な貯えを得ているので、この種の人たちは私たちの視野の外にある )
 このような世代の人々が今老人保健施設に入所し、老人保健法の対象となっている。にもかかわらず、国はこの老人たちにあまりにも冷たい。自己の保全のためには金をかけても、このような老人世代をバックアップすることには金をかけようとはしない。その努力さえもしない財源論争には私は何かおぞましいものを感じる。

*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 9 1993.9

2008年5月20日

死に場所づくり (1) - 1

エッセイ 1

§ 「水戸黄門」と老人たち ②

 現在、21世紀の保健・医療・福祉に関わる議論がかまびすしい。超高齢社会へ準備としてのそれとともにその財源をどう捻出するかということでとりわけかまびすしい。
 私はそのような議論の中で決定的に欠落していることが一つあると思う。超高齢社会へ向けての準備は高齢者予備軍が主体であるので、自らの老後として捉えている限りにおいては別に批判されるものではあるまい。また、財源論にしても、老人に対して支出される枠を拡げないという前提の議論であればあるほどそれはかまびすしくなるのは理の当然である。しかしいずれも、当の高齢者の立場での議論は極めて少ない。否皆無のような気がしてならないのである。
 明治の人たちはその国創りに際し100年後の願望を三つ述べたという。100年後には世界で一番学問教養のある国になりたい。100年後には世界の一番長寿の国となりたい。100年後には世界で一番分限者の国になりたい、と。今それは曲がりなりにも達成されている。しかし、その曲がりなりにも達成されている世界一の教育・健康・経済の中身が今問われているのではなかろうか? いずれにも魂がない。一貫した哲学がそこにはない。人間の心の琴線にふれる教育や医学・医療あるいはやさしい環境はむしろ置きざりにされているのではないのか?

*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 9 1993.9

2008年5月19日

死に場所づくり (1)

エッセイ 1

§ 「水戸黄門」と老人たち ①

 私の仕事部屋は、へつぎ病院とは60m隔った老人保健施設陽光苑の3階にある。へつぎ病院の診療のために陽光苑の階段を日に何度となく昇り降りする。その階段の降り切った2階と1階のところに入所者の食堂がある。食堂とはいっても、部屋として独立している訳ではない。談話コーナーも兼ねているので大きなテレビも置かれている。
 私の陽光苑との接点は、毎日の階段の昇降の折に出くわす入所者との出会いや、隅々眼に入るいろいろな場面の光景と、1か月に1回行なう理事長としての回診のときに得られる。この “ 接点 ” の中で気づいたのは、入所者のテレビに見入っている姿に波があることだった。ポツンと一人しかテレビに見入っていないこともあれば、何人かがいろいろな姿勢でたむろして見ていることもある。どういう番組に関心があるのかな? と観察していると、「水戸黄門」と「相撲」に最も人気があるようである。
 子どもたちは、いずれにもそれほど関心を示さない。ファミコンによるゲームのほうがずっと楽しいからである。中学生も高校生も大学生も、大部分は、現に 「 相撲部 」 や 「 演劇部 」 に属している人以外で、「 相撲 」 や 「 水戸黄門 」 に見入ることはほとんどないと思う。老人たちの間で何故それらが人気があるのかと私の娘に問うと、「 相撲は国技だし、昔から親しんでいたんでしょ。水戸黄門はいつもその結末は葵の御紋で一件落着なのだから! 」 「 プロの相撲取りなんてまずなろうと思う人はほとんどいないし、水戸黄門だってなろうとしてなれるもんではないわ。この二つの番組のキーワードは、観る側に常に安心感があるということなのよね 」 という答えが返ってきた。

*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 9 1993.9

2008年5月18日

見る・観る・聴く・嗅ぐ (23)

時事エッセイ

§ 中国・四川大地震

 とてつもない大地震だった。1995年1月の阪神淡路大震災の約30倍に匹敵する超大地震であると専門家は言っている。
 2008年5月12日に発生したこの地震は、北京まで届いたというから如何にその衝撃が大きいかが判るような気がする。阪神淡路大震災は神戸市に限局されていたが、今回は北海道全域に匹敵するような広大な地域にその被害はわたり、被災者は1,000万人を超えるという。地震発生の5日目に当る5月17日、新華社通信は、死者推計5万人以上 ( 内確認できた死者約22,000人以上 )、生き埋め14,000人以上という。
 このような超大規模な災害は、国家をゆるがすような災害であることは間違いない。温家宝首相は12日午後現地に入ったというのは、国としての判断は極めて正しかったと言えよう。しかし、胡錦濤国家主席が4日目の午前に被災地に入り、このような折の生存可能性のある時間 ― 42時間を過ぎているので、批判が強まっているらしい。正確には、これは胡主席の現地入りのために、約50kmにわたって警官が100mおきに立って警戒に当ったということが批判されているのではないかと、私、松本文六は考える。
 このような時に、国家元首が現地に向うとすれば、ヘリコプターを使用すれば済むし、このような国民の生死に関わる大災害の最中に元首を襲うような中国人はいないはずだ。にもかかわらず、50kmにわたる警備体制 … 総勢1,000人を超す警官を配置したということは、それこそ、現政権の基盤があやうくなってきているのではないかと推測される。
 私が、1995年1月の阪神淡路大震災の折は、インフルエンザが猛威を振るっており、1日の外来患者が600~700人いて、即身動きできなかった。やっと動くことができたのが、地震発生後33日目であった。そのため、地震発生の1週間の現地の混乱はマスメディアの報道のみしか知らないが、今回の報道は、まさに驚天動地の大天災ということは理解できる。しかし、その実態は、現地にゆけば、広島・長崎に原爆が落され屍臭のただよう状況と一致する。しかし、広島・長崎では地上のものすべてが破壊されているため、推理的にはどこでもゆける。しかし、四川の場合には、ほとんどの建物が簡単に倒壊し、その下に生き埋めになった厖大 ( ぼうだい ) な人間がいる。道路網がくずれ、ダムが決壊する恐れがあり、急遽避難命令が出るような、そして伝染病の拡大の危機など、あらゆる危機が集中して出現しているようで、阪神淡路大震災のちょっとした経験などと比較すべもないと考える。
 多くの亡くなられた方々の御冥福とけがをされた方々および被災者の安全を心よりお祈り申し上げたい。

2008年5月17日

日記

エッセイ 1

§ 老人力を結集しよう!

 本日、5月17日、正午から街頭宣伝をすることになっている。
 しかし、午後2時半からある団体より、医療講演を依頼されており、その草稿も充分できていないとあって、街宣まで準備を完了するという慌しさであった。
 本日の街宣場所は、大分市郊外の団地で11時30分には出発しなければならない。8時半に天心堂法人本部の朝礼を終え、9時から、過去の講演のパワーポイントを選び出し、秘書に書き替えと上映の準備を整えてもらい、主催者に渡す資料を作り、ギリギリ11時半の出発には間に合った。
 街宣では、ショッピングセンター前やその周辺、あるいは団地の入口近くでマイクを握った。ちょうど昼時で車も少なく、どうかな思いながら、後期高齢者医療制度の廃止を訴えた。団地の窓から首を出して最後まで聞いていただいた方もおられたし、わざわざ声を聞いて街宣車にまで来られて、頑張ってくれ!と声をかけて下さった方もおられた。
 しかし、若い女性が、許可を受けているのか?ということでスタッフにつめ寄ってきたらしい。具体的には、あまり判らなかったが…。そういう人もいた。昼食時なので、人通りは少なかったが、ショッピングセンターで買い物を済ませた方々は立ち止まって耳を傾けてくれていた。
 何となく、窓から首を出していないが、聞いていただいているな!という空気は感じた。手応えは確かにあったと思うが、自己満足に陥らずに廃止に向けて頑張りたい。
 本日から、患者さんや地域の方々に向けた、後期高齢者医療制度廃止の署名活動 ( 後期高齢者医療制度の廃止を求める請願 取り扱い団体 : 日本労働者住民医療連絡会議 大分県代表 松本文六 ) を開始した。果してどれだけ反応があるのか、この際しっかり頑張ってやろう。社会保障制度解体、国民皆保険制度解体という医師として、人間として、私、松本文六のアイデンティティのかかった問題であるので、しっかりと運動を拡大し展開してゆきたい。
 14時30分より、コンパルホールで講演をさせていただいた。参加者は高齢者の女性二十数人であったが、楽しく語れた。2時間がたちまち過ぎてしまった。終了後、《 私たちは何をすれば良いのか? 》 という質問があり、早速、日本に医療の流れを変える会に加入して下さい。そして署名活動をして下さいとお願いした。快く受けていただき、たいそう嬉しくなった。
 明日は、80~90人位の高齢者グループに、医療問題に関するお話をする機会と場を与えられている。嬉しい限りである。老人力を発揮して、世の中を変えてもらいたいし、私、松本文六は、彼らと共々変えてゆきたいものである。
 実は、私、松本文六は、昨年の11月には前期高齢者になったばかりである。

2008年5月16日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑨ 大塚国際美術館

 19世紀後半に活躍した、ギュスターヴ ・ モローは、マチスとルオーの指導者として有名である。サロメに関する絵の方は以前に、ある雑誌でみたことはある。その絵はユダヤ王の姪サロメがバプテストのヨハネの首を所望し、断首され血のしたたり落ちている頭部を吊るしていた。大塚国際美術館のモローの 『 オルフェウス 』 でも、八つ裂きにされたオルフェウスの首と竪琴を思い深げに見つめるトラキアの巫女が描かれている。モローが何を表現したかったのか、気になる絵である。またモローは、 『 一角獣 』 という珍しい伝説上の動物をも描いている。モローは優れた教師であったという表記を2~3読んだことがあるが、これらの絵と教師ということが、私の中ではどうしても結びつかない。その意味では気になる画家である。
 20世紀にはいると、さすがに親しみやすいというか、既視感をもって観ることができる絵が多い。その一番がパブロ・ピカソである。
 地上2階の芝生に面した広間には、かの有名な 『 ゲルニカ 』 が展示されている。これは、ゲルニカの町に対するナチス ・ ドイツの無差別攻撃に衝撃を受けたピカソが、わずか1ヵ月、パリ万国博覧会のスペイン館の壁画として仕上げたという。ピカソの激しい戦争に対する、否、ナチス ・ ドイツに対する怒りが大画面一杯に表現されている。また、ピカソの他の陶板画は、初期から晩年までが系統的に展示されており、その画風の変化を追って観ることができ、面白かった。私の記憶に残っている、いわゆるピカソの青の時代のものはここには展示されていなかった。
 100才まで生きたミロの絵は何か楽しい。マチスの絵が一点もなかったのは、マチスの子供や孫たちが許可しなかったせいなのか? ルオーの画も一点しかないのには、何か事情がありそうである。
 ダリやエルンストの絵は象徴主義的表現をしているが、私にとっては、気味が悪い部類に属している。
 最後は、テーマ展示で、1 空間表現 2 だまし絵 3 時 4 生と死 5 食卓の情景 6 家族 7 運命の女 8 レンブラントの自画像 という形で、展開されている。
 1 の “ 空間表現 ” の中では、クロード・ロランの 『 シバの女王の上陸 』 という初めて観る絵があったが、奥行きのある表現がすばらしかった。
 2 の “ トロンプ ・ ルイユ ( だまし絵 ) ” の部では、チャールズ ・ ウィルソン ・ ピールの『階段の人物 』 は、思わず、その階段に引き込まれそうな錯覚に陥った。
 3 “ 時 ”の中に、ポール・ゴーギャンの絵が一幅あった。その標題は、 『 われわれは何処から来たのか? われわれは何者であるのか? われわれは何処へ行かんとしているのか? 』 で、哲学的である。例のブルー、ピカソやゴッホの青の時代の青より澄んだ青を画面の部分部分に塗っており、これが何を表現しているのか、今の自分には判らない。彼の哲学が奈辺にあったのか、いずれ調べてみたいと思う。この澄んだ青 ~ 空色で何を表現したかったのかを。
 4 の “ 生と死 ” の項では、絵画に描かれたさまざまな時代の死生観が展示されていた。ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) の『 死の勝利 』 は、戦争への強い批判と抗議が封じ込められている。
 5 の “ 食卓の情景 ” では、ピーテル・ブリューゲル ( 父 ) の『農民の婚宴』は、この時代 ( 16世紀半ば ) の人々の生活を活写していて面白いし、ルノアールの 『 ボート遊びの人々の食事 』 は、ひどく明るく楽しそうな食事時の情景が描かれている。ルノアールの遊んでいる集団の絵は思わず人をひき込むような雰囲気があり、観る側まで何かウキウキさせる。
 6 “ 家族 ”、 7 “ 運命の女 ” の項はそれ程面白くもなかった。観る側が疲れてきたせいなのか。
 8 はレンブラントの自画像14枚、年齢順に並べていて成る程という感じで観れる。やはり、自らの過去の変遷を自画像を通して観ることができるのは、画家にとっては、現代の写真で自らの過去を振り返る意味と等しいかもしれない。しかし、絵では、その時の精神状態をも込めることが可能なので、写真よりも数倍あるいはそれ以上の価値があるのかもしれない。
 壮大な偽物絵画展の物語は本日で終りです。

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2008年5月15日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑧ 大塚国際美術館

 近代でも18世紀半ばになると、絵の雰囲気が変ってくる。現代に通じるものをキャンバスから感じ取れる。マネ、モネ、ルノアール、ドガ、ロートレック、ピサロ、スーラ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの画が次々に現われてくる。さらに、ムンク、ルソー、クリムトと。それ以外に馴染みのない画が所狭しと並んでいる。壮大な偽物美術はいつの間にか、本物と意識の中で転換させられて、飽くことなく観てまわった。
 何が変って来たのだろう? …。絵画の中でも都市化が起きて来たのだ。そして、日本の浮世絵に触発された新たな絵画界の息吹が感じられてくる。主としてパリを中心舞台にしたものとして。
 マネの 『 フォリ=べルジェールのバー 』、 『 草上の昼食 』 は、時代を画したものと思われる。マネの “ 黒 ” の扱いがひどく印象的である。モネの睡蓮 ( すいれん ) 以外の風景画があったのは少し驚くとともに、人間の中途半端な知識や感覚は、結構、いろいろなものを観る側に勝手な想い込みを植えつけ、モネはこんな画家と決めつけるような “ 偏見 ” を具有させてしまう。だから、モネの睡蓮とは趣を異にした風景画に出くわすと “ エッ ”  と少々驚くのである。これは、あくまでも少々であって、ゴヤの “ 黒い家 ” の連作を観ての驚きは吃驚のレベルである。当時、日本の浮世絵の影響あるいは日本趣味は、モネの 『 ラ・ジャポネーズ 』 の画面一杯に踊っている。妻カミーユの着衣とその後背の壁には日本のうちわが描かれ、いずれにも日本の浮世絵を見てとれる。モネの 『 日傘の女 』 の石版画は天心堂にもある。しかし、フランス在住の画家が、19世紀後半に浮世絵に大きな驚きをもって傾倒したのは、日本の文化はそれだけのすごいものをもち、彼らに大きな衝撃を与えたものとして、日本人はもっともっとこのことを自覚していいのではなかろうか。
 ルノアールの絵は極めて明るく、そこの人物がひどく人懐っこいので人気があるのだろう。肉感的な絵であるのは、ルノアールがやや肥満気味な女性を好んでいたのだろうと勝手に推測している。『 桟敷席 』、『 ムラーン・ド・ギャレット 』、 『 田舎のダンス 』、 『 都会のダンス 』、『 浴女たち 』、『 アルジェリア風の衣装を着たフルーリ嬢 』、『 ピアノに向う娘たち 』 など人間の暖かさを感じさせる。『 日傘のダンス 』 には妻を描いていると言われているが、横広がりの明るい女性として描かれ、右手には扇を掲げているが、ここにもまた、ジャポニズムが表現されている。
 ルノアールの明るさに対して、ドガはどちらかと言えば暗い。ネアカとネクラという形での比較もできそうだ。ルノアールの絵には躍動感を感じるが、ドガのそれには抑うつさを感じる。それは、お前が素人だからと言われるかもしれないが、そのような印象を持った。
 ロートレックの絵はあまり、迫ってくるものがないような気がする。スーラの点描は根気がいるだろうなと想うし、しかし、その根気強さには、自らの独自の画風を作るための執念のようなものを感じる。やはり職人なのか。それは、『 グランド・ジャット島の日曜日の午後 』 の中で凝縮されている。
 セザンヌの『 松の木のあるサント=ヴィクトワール山 』 は、他のヴィクトワール山や風景画でも、黄色の使い方が独特なものがあるような気がする。
 ゴーギャン、私の好きな画家の一人である。『 説教の後の幻影』 、 『 イア・オラナ・マリア( マリアを拝む ) 』 の中の赤は、ポンペイアンレッドに近い赤が使われている。何故か、ゴーギャンの絵には精神性の高いものを感じる。暇をみつけて、何故タヒチに行ったのか、どこでゴッホとけんかをしたのかを知り、原画を観れば、また違う印象を得るのかもしれない。
 ゴッホの 『 自画像 』 と 『 ひまわり 』、『 アルルのゴッホの部屋 』、『 オーベールの教会 』、『 麦藁帽子の自画像 』 などが並んでいたが、やはり彼独特な筆さばきで、いやに存在感のある絵である。彼の “ 狂気 ” を恐れてか、生前には1枚も絵が売れなかったという。調べたくなることだが、すでに多くの専門家、評論家が調べて書いているのだろうから、それをみてみたいと思う。『 ひまわり 』 は、新宿の旧東京海上火災の高層ビルの最上階で何度か見たが、そこでは手で触れることができないが、ここでは触れることができる。しかし、ここでの陶版画は本物をみていたせいか、なぁーんだという形で通りすぎてしまった。機会があれば、じっくり見比べてみたいものである。
 ムンクの絵 『 叫び 』 は、現代社会を予見したような絵で恐い感じがする。
 ルソーの絵もまた、彼独自の世界を切り拓いている。 『 子供と人形 』 もさることながら、『 戦争 』 の絵は、それこそ戦争のむごさを予見し反戦を謳った象徴的な絵でもある。
 クリムトの絵は、装飾壁画にすれば良さそうな官能的な絵で、あまり好きになれない絵である。
 近代という時代区分の中で展示されている絵は、18世紀、19世紀なので比較的判りやすく、人間を描き、人間存在への不信と脅威を描いていることに特徴があると言えるのだろうか。近代の中でルネサンス期から人間存在への讃美というものは次第に薄れてゆき、絵画にも精神性を次第に謳い始めてきているように感じたが、これは美術館の順路に沿ってきたからなのか、それとも、私、松本文六の独断と偏見によるものか。考えどころである。

2008年5月14日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑦ 大塚国際美術館

 近代…18世紀にはいると画風がまた一段と変ってくる。
 ここには、ターナー、ルノアール、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ムンクなど約330点が展示されている。この時代の絵は、教科書や美術館、あるいは新聞やテレビなどでお馴染みのものが多い。少しは絵画に興味ある多くの日本人であれば大概知っているのであろう絵がほとんどである。私がそう想ったのは何で?と、考えてみたら、実は小生が日本経済新聞の日曜版の美術特集でしばしば出くわしていたからである。
 このフロアには、特別にゴヤの “ 黒い絵 ” の環境展示がなされており、順路の手前に 『 裸のマハ 』 『 着衣のマハ 』 があったので、その落差にビックリしたが、演出の憎さをも感じた。
 歴史的一瞬を一枚の写真のように描いているのも、この時代の特徴かもしれない。ダヴィッドの 『 皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠 』 はその一端である。一室の壁全面を占める ( 621×979 cm  ) 華やかな場面を描いたもので、現在でいう集合写真、セレモニーの一瞬を写真にとったような絵で、これはナポレオン1世がえらく気に入っていたものらしい。支配層の人々の晴れがましい表情にあふれている。しかし、その華やかな絵の隣りには、ジェリコーの 『 メデュース号の筏 ( いかだ ) 』 がかけられており、私はこの絵の方に気持がひかれた。これも大きな絵 ( 491×716 cm ) で、1816年に実際に起きたメデュース号の遭難事件を題材にした油彩画である。漂流生活の疲労困憊 ( ひろうこんぱい ) の中での、救助船の船影に驚喜している生者の動と、すでに死んでしまった同僚を抱えて虚脱状態に陥っている壮年者と息絶えた男と女の状態の静がみごとに表現された絵である。映画の一場面をみるような絵で、記憶に生々しく残るシーンである。
 同じように歴史の一瞬とおぼしき光景が描かれているのが、ドラクロアの 『 民衆を導く自由の女神 』 である。中学校の教科書でも見たような気もするが、高校2年の時の世界史の教科書に掲載されているのを覚えている。その時、革命の先頭には女性が立っていたのか?とその時は単純に感動した。すごいことだなぁと幼いながらも驚いてしまったことを想い出させる絵であった。それは、私が過ごした中学生の頃の時代は、学校の廊下を歩いている時、向い側から女性が歩いてきている時には、男子生徒が反対側に寄って歩くという時代であり、精神的にも極めて未熟であったからである。
 アングルの 『 泉 』 。頭ごしに水のはいった壺から水を落としている画面や、コローの叙情性豊かな詩的な風景画もどこか幼い時の記憶に残っている。それにミレーのかの有名な 『 落穂ひろい 』 は、当時はひどく貧富の差が激しかったことを物語っている。豊かな農民が、収穫を終えた後、貧しい農民が収穫のあとのおこぼれにあずかるという絵だが、当時、そこまでの社会的・階級的落差や格差を描かれているのだということを教師より教えられたという記憶はない。
 ターナーの 『 テメレール 』 はかのトラファルガーの戦いで、勇名をはせた大英帝国海軍の誇りとした戦艦でそれを描いている。また、『 雨、蒸気、速力 : グレート・ウェスタン鉄道 』 は、速度を筆で表現したということで有名な絵であり、この2つの絵は、深く記憶に残っている。列車が、観る者に突進してくるような迫力と空気がある。 “ 速度 ” を筆で描きみる画家は世界広しと言えども、そう多くはないと想う。
 クールベは、『 画家のアトリエ 』 の中で、《 画家の使命は、同時代の風俗、思想、習慣を描き、生きた芸術を産み出すことである 》 と主張している。当時、“ 写真家 ” の哲学をもっていたのであろう。ここでは、ミレーと同じように下層階級の人々の労働にくたびれきった人々をも、そうでない文学者などとともにカンヴァスの中で同居させている。

2008年5月13日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑥ 大塚国際美術館

 ルネサンス期からバロック期に移行すると絵の雰囲気がガラッと変ってくる。美術史家がルネサンスとバロックという形で分類していることがよく解る。ルネサンス期はキリスト教から離れた絵を描けなかったが、バロックになると絵に市民が登場し、風景が出てくる。様々な形で市民の顔がカンヴァスの中で現われ、中には、観る者が見られているという絵も沢山ある。
 レンブラントの 『 夜警 』 は、光と影がまるで舞台の中での一場面のように躍動する人々が描かれている。
 イタリアのルネサンスから、ヨーロッパ全体への拡がりをもって絵画界が変容して行ったのは、何が要因だったのだろうか。レンブラント、フェルメール、ホッベマなどのオランダがとりわけ傑出していたようだが…。
 フェルメールの絵は人物を描いたものしか知らなかったが、『 デルフトの眺望 』 は、透明感のある、一寸の隙(すき)もない風景画で、観る者に迫ってくる空気を感じさせる。ホッベアの 『 ミッデルハルニスの並木道 』 は、何度が、中学・高校の教科書その他でお目にかかっており、親近感を覚えたが、素人の悲しさで、そこで終ってしまう。フェルメールの絵とホッベマの絵のどこがどう違うのか判らないが、観る側に迫って来るのはフェルメールの方が強い気がする。それが技量というものか?
 庶民の饗宴を描いたり、養老院の女理事たちの実在感のある絵もある。他方で、絶対君主制を象徴する王や皇太子あるいはその家族などを描いているベラスケスもまたこの時期に属している。
 ベラスケスの 『 ラス・メニーナス (女官たち) 』 は、よく話題となる絵だが、ベラスケス自身もこの絵の中に描かれているが、その品性を臭わせている。
 他方、ベラスケスの半世紀程前の時代、スペインではエル・グレコが活躍している。宗教画を主体にしていたのか、そしてその中のキリストの面長の顔は、一目で忘れられない絵となっている。
 ベラスケスに遅れる頃1世紀半後のゴヤは、“ 聾者の家 ” に移る十数年前には 『 裸のマハ 』  と 『 着衣のマハ 』 を描いている。この時期のゴヤの絵は “ 黒い絵 ” とは全く正反対に位置する華やかさで輝いている。そういう点で、ゴヤの内面に立ち入ったゴヤ論でも読みたくなってきた。 『 裸のマハ 』 は宰相ゴドイの要請で描かれたといい、着衣の方が数年後に描かれたというが、着衣の方がモデルそのものに余裕があるというのか、裸の方は画面が何となく緊張している感じがする。宰相の命令で緊張していたのだろうか? “ 黒い絵 ” からすると 『 裸のマハ 』 はゴヤ自身あまり描きたくなかったのか? という気もする。
 しかし、このような形で、書き記して行くと、よくもまあこれだけの絵をあきもせず観て来たものだと自分自身でも驚いている。

2008年5月12日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ⑤ 大塚国際美術館

 環境展示より、系統展示の部屋へと移る。
 古代の部の圧巻は、紀元前100年頃の 『 アレキサンダー・モザイク 』 と呼ばれているものである。これは、ポンペイの 「 ファウヌスの家 」 と呼ばれる邸宅の一室の床を飾っていたモザイク画で、縦313cm、横582cmの大きなものである。これは、アレクサンドロス大王と、ペルシャのアケメネス朝最後の王ダレイオス3世の戦闘場面を表現したものだ。一辺7~8cmの正方形のモザイクがビッシリ埋め込まれていて一幅の絵となっている。一部はヴェスヴィオス火山の大噴火のせいで欠落しているが、当時の権力者の勢威をも感じさせるものである。
 古代は、ほとんどが遺跡から出土したものの複製であるが、アッティカ最大の陶工・陶画家であるエクセキアスの壺の複製(平面化したもの)の画(紀元前530年頃)は惚れ惚れとする線描で、お金があれば、すぐにでも買いたい衝動に駆られる傑作である。
 ポンペイの出土品には、大噴火の “ お蔭 ” で優れた画面を彷彿 ( ほうふつ ) とさせる色彩を残している。
 中世にはいると、ほとんどがキリスト教に関する絵画である。そのあとに続くルネサンスは誰もがよく知っている名画が次々に出てくる。ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アンジェリコ、ボッティチュリ、ジョルジョーネ、……と。
 ラファエロの 『 アテネの学堂 』 の、プラトンとアリストテレスは、何度か、雑誌などで眼にしていたが、こんなにも大きいものとは想像だにしていなかった。577×817cmのフレスコ壁画である。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチの、かの有名な 『 最後の晩餐 』  の修復前と修復後のテンペラ壁画の2面が一室に対座する形で展示されている。これもまた、すさまじく大きい。420×910cmである。キリストの正面左側の像は修復後明らかに女性であると判明し、恐らくこの女性はマグダラのマリアだろうと言われている。『 モナ ・ リザ 』 もあった。
 ボッティチェリの 『 ヴィーナス の誕生 』  は、装飾的な絵画で、ラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの人間を感じさせない絵である。この時期には、絵画表現に名を借りた官能的な絵も随分作られたらしい。
 ヒエロニムス・ボスの 『 快楽の園 』 の左翼の絵は地獄図だが、仏教の天国と地獄とほんどの変りない。悪いことをすると閻魔さんから舌を抜かれるぞ!と子供の頃、親から脅かされたのと同じ場面が描かれており、キリスト教でもそうだったのか、と少々驚いた。それは仏教の中だけの話とどこかで刷り込まれていたせいなのだろう。キリスト教では天に召されるということだけを聞いたような変な記憶がある。地獄があろうとはこの時まで考えたことがなかった。ミケランジェロの 『 最後の晩餐 』 の壁画の下段には、しっかりと地獄が描かれていたが、ボスの方の地獄図の方が先のような気がするが、15世紀には、地獄の話は一般化していたのであろう。と勝手に想像している。

2008年5月11日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ④ 大塚国際美術館

 2つ目の色は赤である。いわゆるポンペイの赤である。これもフレスコ画である。これはヴェスヴィオス火山の噴火で埋もれてしまったものから発掘された家屋の一室に描かれていたものである。ポンペイはイタリアのナポリ湾に臨む古代都市で、前4世紀以来繁栄し、のち一時ローマに反抗したという。この都市の最盛期の紀元79年、ヴェスヴィオス火山の大噴火で埋没してしまったという。ポンペイは、現在、当時の建造物・生活様式・美術工芸などを知る貴重な史跡となっている。
 この壁の赤は、独特な色合いを持っているが故にポンペイアンレッドと呼ばれるのであろう。一度みると忘れ難く印象に残るレッドである。やや黄色味を帯びた赤が壁全面に塗られ、その前にたたみ1.5畳位の大きさに区切られた塀の中に様々な人物の所作と表情が描かれている。西欧の中世は誰が言い始めたかのか “ 暗黒時代 ” といわれ、その時代の絵画には、人間の息吹が感じられないばかりか、仮面様顔貌ばかりが羅列されて、ぞっとする。しかし、このポンペイの 『 秘儀の間 』 の人物像は生きている。まず、顔に表情がある。眼付が実在の人物を想起させる。恐らく、この部屋は、当時のこの地域の統領か最高権力者かあるいは支配者の館か、日本で言えば官邸の類の、一室なのかもしれない。秘儀の間と名付けた以上、この壁画にはその秘儀の内容が描かれているのであろうが、ついにその説明には出会わなかった。
 500円~1000円のイヤホーン付きの解説の中にはその説明があるのかもしれない。私、松本文六は他人の解釈よりもまず自分自身の五感が先だという想いで、このようなイヤホーンは使わないことにしている。そのうち、秘儀の解説にどこかで出会うだろう。
 色は、以上の2つが忘れえない色として記憶された。

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 これらは、いずれも環境展示であるが、その別の一つに、『 ゴヤの家 「 黒い絵 」 』 がある。これが、また強烈な衝撃を観る者に与える。
 1819年72才のゴヤはマドリード郊外に家を購入した。それは “ 聾者の家 ” と呼ばれ、そこの壁に “ 黒い絵 ” の連作がなされている。食堂やサロンの壁合計14室が描かれている。この “ 黒い家 ” の連作は、ロマン主義の巨匠として、そして宮廷の主席画家としての時期に描いた 『 裸のマヤ 』 や 『 着衣のマヤ 』 とは別人が描いたのではないかと思われるような絵の表情で黒い怒りが一挙に噴出しているような連作絵画である。ゴヤは、1792年に大病を患い、それが原因で聴力を失い、ついには全聾者となってしまった。1786年に国王付画家となり、1799年には宮廷主席画家となり、社会的地位と名誉も得ている。しかし、この聾は彼を何よりも思索的な人間へと押しやり、『 ロス・ガブリチョス( 気まぐれ )  』 という版画集の中で、その大きな展開が見られているという。このような彼の精神環境の中で、ナポレオン率いるフランス軍の祖国スペインへの度重なる内政干渉に、民家の暴動や市民の蜂起が次々と見られ、ついには、1808年5月対仏独立戦争が起った。ゴヤは、直接戦いの渦中に踏み込んではいなかったが、戦争の悲惨さに、その人生観をさらに大きく転変させられたと推理されている。62才の老身は、憤りに震え、1810年に銅版画 『 戦争の惨禍 』 に着手している。しかし、この銅版画は、晩年フランスに亡命したせいなのか、生前には公開されなかったという。それは、彼の名声と社会的地位がそうさせたのかもしれない。ちなみに、『 1808年5月3日 : リンシベ ・ ピオの丘の銃殺 』 の絵は、1814年、ナポレオンがワーテルローで敗れ、スペイン王が復位した年に自ら 『 5月3日 』 とともに、国王に申し出て描いたものだという。
 “ 黒い絵 ” の連作は、1820~23年にかけてなされたものという。その中の、『 自らの子を食らうサトゥルス 』 という絵は、思わず後ずさりを迫られるような迫力がある。ゴヤの家は “ 聾者の家 ” と言われ、現実の部屋も灯りがなかったのか、暗闇の中に展示されているので特にそう実感したのかもしれない。子の首から上はすでにサトゥルスの口の中を通り抜けて、血がしたたり落ちている様は、まさに戦争が人を食い殺し、人が人を殺すというのが戦争であり、戦場はその凄惨な場である。そのような悲惨なことを再び繰り返すべきではない。それは人間は許すべきではないのだとゴヤが雄叫びしているように聞こえる絵である。まさに、この “ 黒い絵 ” の連作は、ピカソやゲルニカ以上に観る者に反戦を呼びかける絵でもある。
 “ 5月3日 ” の原作を、スペインのプラド美術館で直接眼にしている連れあいは、この陶板は迫力に欠けると囁 ( ささや ) いていたが、確かに、私、松本文六が観てもそんな感じがした。何がどう違うのか、やはり本物と比べないと判らないのかもしれないが……。他の陶板に比し、これは失敗作かもしれない。
 

2008年5月10日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ③ 大塚国際美術館

 “ 大塚国際美術館 ” の展示方法は3種類。 ① 環境展示 ② 系統展示 ③ テーマ展示と分けられている。
 ①は、古代遺跡や教会などの壁画などを、その空間を丸ごと再現している。②は、時代の変遷に沿って、美術史的に理解されるべく配置されている。古代・中世・ルネサンス・バロック・近代・現代の順に。③は、人間の生活に沿った、また、美術談議で話題となるような形での展示がなされている。空間表現・だまし絵・時・生と死・食卓の情景・家族・運命の女・レンブラントの自画像という具合に。
 印象に残ったものを順次述べたい。
 ①の環境空間まるごとには、この旅の記憶の冒頭に述べたシスティーナ礼拝堂の天井画と壁画の他、12ヵ所の壁画と建物ごと移設した形となっている。
 ミケランジェロのフレスコ画、『 天地創造 』 と 『 最後の審判 』 の展示は、吸い込まれてゆくような絵画空間で、これが地下3階の正面入口の真前に置かれている。美術の専門家の誰もが考えそうな極く当たり前の演出であるとも言えるが、この演出は入館第一歩で入館者の度肝を抜かすことを想定した心にくい演出とも言える。そのすごさは直接自らの眼で観た者しか理解できないと思われる。本物はもっと壮観なのかもしれない。同僚の医師が、イタリア旅行の折、2時間列を作ってやっとシスティーナ礼拝堂に入り、このフレスコ画を見たとたん、2時間立ちっぱなしに待った疲れが一挙に吹き飛んだと語っていた。まさにそうだろうと頷 ( うなず ) ける。日本のみでなく、世界のどこにもこれだけ壮大な天井画と壁画はないであろう。江戸時代の日本の城の中の襖絵を全部あわせても、これ程のスケールのものにはなるまい。天井画の 『 天地創造 』 は 823 ㎡、壁画 『 最後の審判 』 は 195 ㎡ である。
 最近、加藤清正公の熊本城の “ 客間 ” が、復刻再現されたというが、どれ位のスケールのものか、今年中に一度観にゆきたい。
 さて、システィーナ礼拝堂は別格として、松本文六にとって強烈な印象を残したのは、鮮やかな色彩を施した2つのフレスコ画である。
 まずは、スクロヴェーニ礼拝堂の天井のフレスコ画の澄んだ濃紺の青である。そのドーム状の深い青の空に*がきれいに等間隔に配され、満月とおぼしき円形が大小10組規則正しく描かれている。空間を2つに分けて一方の大円形にはキリストが、他方の大円形の中には聖母子像が描かれ、小さな4つずつの小円形には8人の使徒(?)が描かれている。当初、その円形には何が描かれているのか、この深い青色に吸い込まれてしまって全く気がつかなかった。
 ピカソの青の時代や、ゴッホの一部の絵に使われている青は、もしかしたら、このスクロヴェー二の青を念頭に置いていたのかもしれない。
 この深い深い青は、北イタリア、パドヴァ市にあるスクロヴェーニ礼拝堂の天井画である。 “ 美術巡礼者 ”  にとっては一つの “ 聖地 ” だという。この壁画には 『 聖母マリアの生涯 』 12場面、『 キリストの生涯 』 25場面が描かれている。作者はかのジョットである。ミケランジェロの大胆なたくましい人間像と、生の息吹の感じる画面に比べると、全く異質で、ジョットのこの青の部屋の壁画は、簡素でひきしまった構図で幾何学的模様が、静謐 ( せいひつ ) な空間を生み出している。
 ジョットは、《 中世末期の死せる絵画の復活者 》 と称され、《 人間的共感にみちた生気ある場面を創造 》 して、ルネサンス絵画の礎を築いた画家と言われているという。見事である。一日中この空間にいてもいいような空間である。
 しかし、このスクロヴェー二礼拝堂を建立したエンリコ ・ スクロヴェー二の父、レジナルドは高利貸しで財をなした人物で、同時代のダンテの 『 神曲 』 にあさましい姿で登場するらしい。エンリコは、父の罪の消滅を願ってこのお墓を建てたと言われている。この深い深い静謐 ( せいひつ ) には、エンリコの静かな深い想いが込められているのかもしれない。

2008年5月 9日

日本の医療が危ない (16) 後期高齢者医療制度

後期高齢者医療制度

§ 驚くべき事実・実態が判明

 今朝の新聞をみて、びっくりした。と同時にやっぱりそうだったか!という思いで読んだ。知人の障害者が、俺も後期高齢者医療制度に入れという通知が来たが、どうすりゃいいのか?と過日相談があった。その折は、《 加入するのは止めた方が良い。加入しない方が得です。》  と答えた。しかし、この知人は福岡県に今在住している。
 今朝の新聞の見出しは、《 後期高齢者医療制度―障害者、強制加入も … 10道県が補助打ち切り … 》 だった。それによると、厚生労働省は、5月8日、65才から74才で寝たきりになるなどの理由で障害者と認定された人が、後期高齢者医療制度に加入しないと医療費の補助を打ち切る措置を10の道県がとっていることを明らかにした。本来の法の主旨によりすると、障害者の加入は同意であるが、これは事実上の強制加入になっており、この制度の本質が一挙に噴出、その正体を現わしたことになる。
 やっぱりそうだったのだ。私、松本文六が指摘してきたように、本制度は日本の社会保障制度そのものの根幹を打ち毀 ( こぼ ) す端初の制度と位置づけられていたといっても過言ではない。
 65才以上の障害者の加入が事実上、強制になっているのは、北海道、青森 ・ 山形 ・ 茨城 ・ 栃木 ・ 富山 ・ 愛知 ・ 山口 ・ 徳島 ・ 福岡の1道9県である。一体どういうつもりなのだろうか? これらの10道県では、この制度に加入しないと、これまで受けてきた医療費の助成を打ち切られ、障害者が医療機関の窓口で支払う自己負担額が急増することとなる。その上、これまで扶養家族であったため、保険料の納付が義務づけられていなかった障害者は、新たに保険料を支払わなければならなくなる。これは、この制度そのものが、家族を分断してゆくことにつながっていることをも示している。
 65才以上75才未満の障害者でもない、73才の妻と78才の夫がこれまで、息子の扶養であった場合、妻は扶養のまま残り、夫は個人として後期高齢者医療保険料を払うこととなり、夫婦の心境は如何ばかりのものか、家族の絆を国家権力で断ち切るのか!と怒り心頭に達しているのではないのだろうか。
 このことに関し、厚生労働省老人医療企画室は、《 障害者への助成措置は、自治体の担当なので、強制指導はできない。問題点を注意喚起してゆきたい 》 と “ 説明 ” している。鋭く批判されるところである。また、後期高齢者医療制度の運営 ・ 経営主体は、その責任体制も明らかでない都道府県単位の広域連合である。
 厚労省は、様々な形で、責任回避の工夫をしているとしか考えられない。役人、とりわけ高級官僚は、如何に責任をとらず、そして自分の老後はしっかりさせることが、その特性の二つであるとすれば、まさにムベなるかなと私、松本文六は思う。
 後期高齢者医療制度は、やはり廃止すべきである !!

2008年5月 8日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ② 大塚国際美術館

 この “ 大塚国際美術館 ” は、1998年3月、大塚製薬創立75周年記念事業として設立されている。この3月で10周年を迎えたことになる。
 この壮大な複製美術館の総指揮したのは、大塚製薬2代目社長の大塚正士(故人)で、そのきっかけは、当時大塚化学の技術部長の正士氏の末弟大塚正富氏と技術課長の板垣浩正氏の提案であったという。それは、1971年、両人が正士氏に一握りの砂を持ち出し、これでタイルを造りたいという提案だった。この砂は鳴門の砂で、紀伊水道に面して白砂海岸があり、その白砂だった。いろいろな経緯を経て、タイルの製造が始められ、ついには、1メートル角のタイルを作っても歪みや割れが一つもなく、20枚作れば20枚とも100%合格の商品に仕立てあげたという。この時期、アメリカにおいては20枚中19枚が不良品となり、1枚のみが合格するということだったらしく、この大塚のタイルはすごい技術力によったものであったらしい。
 そしてタイルの品質をあげるため、滋賀県信楽町の会社と合併し、さらに高度の技術開発を目差したという。この会社は、あの石油ショックのあった1973年に設立されている。この時期は、石油価格が12倍にも高騰し、ビルの建設が全面停止になるという時代であった。そのため、会社は設立したが、操業ができなかったという。そのような苦難の中で、役員会で、《 陶板に絵を描いて美術品の方に移行しよう 》 という意見にまとまり、手始めに尾形光琳の 『 燕子花 ( かきつばた) 』 を試作した。上出来であったらしい。そのような研鑽とともに、1973年には、2万点に近い陶板の絵付の色を開発し、ついに、ピカソやミロの有名絵画を、陶磁器に、しかも原寸大に複製することに成功した。このような技術は、日本だけでなく、世界にも例のない大型美術陶板の開発で、大塚の名を世界の美術界にとどろかせることになった。

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 ともかく、陶板なので、時代が少々経とうとも、1000年、あるいは2000年後も色はあざやかに保たれ、補修はほとんど必要としない。システィーナ礼拝堂の壁画の一部をとり出して別に展示していたが、これを手で触れることもできる。私の好きな、ルオーの絵画が1枚だけあったが、その厚塗りの感触を体験することができ、この探求のすごさにはさすが驚いてしまった。手で触れて、エェーという感嘆のため息が出た。これまでの美術館では、ガラス越しにしか見れなくて、しかも写真も撮れない。しかし、ここでは写真も撮れるし、触れることもできる。美術に関心のある小中学生にはとてつもない勉強の場になるのだろうが、そこまでの企画はなさそうである。
 原寸大で、1000余点の陶板複製名画が掲げられているので建物も壮大である。地下3階から地上2階までビッシリと絵が系統的に展示され、古代遺跡 ( 例えばポンペイの埋もれていた壁画 ― ポンペイの赤 ― が再現されている ) や教会などの壁画を環境空間にとそのまま再現しているのは、臨場感を味わえる立体展示とも言える。また、様々なテーマ展示もなされている。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの 『 最後の晩餐 』 は修復前と修復後の2つが相対して展示されていて、圧巻である。
 地下3階より地下2階 → 地下1階 → 1階 → 2階と進むうち、いつのまにか、本物を観ている感覚になってくるから、この大塚国際美術館はやはり、誰もが1回は観て欲しい美術館の一つだと私、松本文六は思う。欲を言えば、マチスという有名な画家の絵が一枚もないのは残念だし、西洋画ばかりではなく日本画、日本人の絵画もこういう形で一堂に集めてもらえればいいが…。しかし、そうなると、日本の各地の美術館の存在価値がうすれてしまうので西洋画に限ったとすれば、大塚正士氏の考え方に心より敬意を表したい。

2008年5月 7日

人は旅をして気をもらう (4) 鳴門

§ 壮大なる偽物絵画を観る! ① 大塚国際美術館

 久し振りに2泊3日の旅をした。以前から何としても行ってみたいと思っていた、徳島県鳴門市の “ 大塚国際美術館 ” を観に行った。
 壮大な偽物絵画館である。古代壁画から世界25ヶ国190余の美術館の所蔵する現代絵画まで、至宝の西洋絵画1000余点が、オリジナル作品と同じ大きさの陶板として複製されたものが展示されている。これだけでは、そんな本物でないものを観ても仕方ないではないかと想う方も多いと思うが、《 百聞は一見にしかず 》 である。中にはすでに以前に本物と対面したものに比し、これは? と思うところもあるが、“ 壮大 ”  さに息をのむ想いで観ていると、複製であることさえ忘れてしまった。
 とにかく、順路の真先はバチカン宮殿の中のシスティーナ礼拝堂と全く同じ規模の空間に導かれる。30m もあろうかと思うドーム状の天井にはあの有名なミケランジェロの壁画がそのままの形で見えた。ここで複製という衣が脱ぎ捨てられてしまい、ミケランジェロのすごさ、天才性に息をのむと同時にウゥーンと唸 ( うな ) ってしまった。見事!という形で言葉として何と表現していいのか、この空間に完全に飲み込まれてしまったという感じである。
 ミケランジェロは、教皇ユリウス2世から天井全面にフレスコ画を描くことを命令されたが、自分は彫刻家であると、当初は固辞していたらしい。しかし、この天井画は、盛期ルネッサンス絵画の最高傑作の一つとなった。おおよそ、1000㎡ のスペースに300 近い人体がひしめく大壁画を、彼はほとんど助手を使わずに独力で完成させたという。足場をつくり、天井を見上げつつ、これだけのフレスコ画を描くには相当な体力と技量がない限り不可能であろう。それを、独力でやったというから、……。この天井画 『 天地創造 』 ほかは1508年から12年、4年間で描いたという。

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 また、天井画を描いて約四半世紀後の1936年から5年かけて礼拝堂の奥壁に 『 最後の審判 』 を描くことになった。これは、動乱の時代のローマに対してのキリスト教の視座からの世界の終末を見透かしたものだと言われています。ここには、《 静かに世界の終末を迎えるのではなく、神の裁きの前で動乱し、絶叫する人類 》 が描かれています。破局の時代、危機の時代の精がここに映し出されている。現在の日本にもピッタリ合う精神的光景でもあると、私、松本文六は想う。

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 空間を本物と全く同じくするものがいくつかあった。ポンペイの 『 秘儀の間 』 が再現され、ラファエロの生地ウルビーノにあるフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書斎もまた原寸のまま展示されている。ジョットの壁画のあるストロヴェーニ礼拝堂もまた圧倒的な存在感を示していた。紺碧の星空に紛 ( まが ) う天井は現代人が忘れてしまった空を想い出させる。
 壮大な偽物というよりは壮大な複製という方が的確である。

2008年5月 6日

生き場所づくり (2)

エッセイ 1

§ 二つのいのちを扱う危険性 ③

 第2の問題 《 “ 二つの生命体を同時に扱う医療 ” は医療とよべるのか? 》 を考えてみましょう。治療医学を主体とする医療は、ひとの一つの生命を対象とし、そのひとが直面している生命の危機から如何に脱出させ、その人本来の生命の維持可能状態にいかに復させるのかということをその使命としています。対象は、必ず一つの生命体です。 “ 脳死 ” を前提とした臓器移植は、ドナーとレシピエント (注) という二つの生命体に同時に関わる “ 医療行為 ” を必然的に要求してきます。このような二つの生命体に同時に関わるという “ 医学 ” は、人類が有史以来初めて直面している新たな医学であり、国民総ぐるみで討議されなければならない重い課題です。しかし、この “ 脳死 ” を前提とする医療の本質は、 < 他人の死を期待する医療 > であり、他人の不幸せを願う医療でしかありません。これは医療ではなく、成熟社会という観点からも許されない医療だと私は思います。ヒトラーや天皇の軍隊が越えてはならない河を渡り始めたとき、人類の悲劇が始まったのです。
 このことは第3の 《 臓器売買は許されるのか? 》 に関わります。いわゆる西欧諸国は、この歴史的教訓を無視して “ 脳死 ” を前提とした臓器移植を、 「 近代医学の勝利 」 として次々に手を染めてきています。その中で、深刻な臓器不足が発生し、アメリカでは、臓器売買が公然の秘密となり、他方で、酒気帯運転の緩和や、スピード制限の廃止などの、まさに時代逆行の言辞が罷 ( まか ) り通っています。また、中南米各国では、アメリカやヨーロッパでの臓器移植や養子縁組を目的とした多数の幼児誘拐が発生しています。中米ホンジュラスのジェハス大統領は、たまりかねて、1993年4月16日、臓器移植を目的に幼児を誘拐している犯罪組織の本格捜査を司法機関に命じたといいます。ホンジュラスでは、この半年間に600人の幼児が行方不明になっています。まさにおぞましい 「 臓器マフィア 」 の出現です。
 二つの生命体を同時に扱う医療について、歴史的悲劇を二度と繰り返さないために、そして人権が本当に尊重される社会へ向けて、私どもはもっと深刻に考え直すべきではないでしょうか?

注 : レシピエント (受領者の意) 他の人から提供された臓器・組織あるいは血液を移植ないし輸血してもらう人 ⇔ ドナー

*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 12 1993.12

2008年5月 5日

生き場所づくり (2)

エッセイ 1

§ 二つのいのちを扱う危険性 ②

 今、それがこの日本で起ろうとしています。 “ 脳死 ” を前提とした臓器移植の立法化の動きがそれです。この問題の核心は、三つあると思います。

  1. “ 脳死 ” はひとの個体の死か?
  2. “ 二つの生命体を同時に扱う医療 ” は医療とよべるのか?
  3. 臓器売買は許されるのか?

 私は “ 脳死 ” は個体の死ではないと思います。 “ Point of  No  Return ” は一つしかありません。従来の死の概念 ― 死の三徴候 ― で私たちが困ることは何一つありません。逆に、 “ 脳死 ” の判定基準は、世界各国ですべて異なり、科学的に統一されたものは何一つ存在しません。ひとの死は、あくまでも1回こっきりで、2回あるということ自体がおかしな話です。 “ 脳死 ” という < もう一つの死 > は、 < 生き生きとした若い新鮮な臓器を必要とする心臓移植 > などの臓器移植を行なうために、そして、移植を行なう医師の免罪のために必要とされるのです。これこそ、 “ 便宜的な死 ” の設定でしかありません。
 ちなみに、 “ 脳死 ” を前提とした臓器移植推進派の医師たちは、“ 老衰 ” に近い高齢者の “ 脳死状態 ” を語ることは決してありません。これを語り始めると、 < 移植される臓器は、生き生きとした若い新鮮な臓器でなければならない > という前提が崩れてしまうからです。


*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 12 1993.12

2008年5月 4日

生き場所づくり (2)

エッセイ 1

§ 二つのいのちを扱う危険性 ①

 “ 生き場所づくり ” の主体も、“ 死に場所づくり ” の主体も、医師である必要はありません。 “ 生き場所 ” は、基本的にはそのひとが主体的に決めることです。何らかの障害が発生し、生活することに支障を来たし、他の人からの支えを必要とし、主体的に “ 生き場所 ” を決定することができなくなったときに、 “ 生き場所づくり ” の主体は、他の人あるいは社会的組織に委ねざるを得ない情況が生まれます。その委ねる先は、医療・福祉の領域あるいは社会となります。
 未成熟な社会においては、個人の選択は許されませんが、成熟しつつある社会では、個人の選択が優先される環境が整えられつつあります。医療 ・ 福祉の領域において、障害者の選択権は拡大されつつあります。そして、成熟社会では、精神的・肉体的障害の程度や能力の差によって、差別されることは許されません。
 また、ひとの基本的人権が決して侵されてはならない社会です。私たちが、成熟社会を目指すとすれば、医療や福祉の領域で基本的人権が侵されない環境をつくるべきでしょう。 “ 生き場所づくり ” もこの原則に則 ( のっと ) って行なわれなければなりません。
 過去において、ヒトラーがユダヤ人を虐殺し、天皇の軍隊が731部隊で中国人や朝鮮人を “ 丸太 ” と称して凄惨な生体実験を行なったことや、九大医学部での米兵の生体解剖事件などの事実は、二度と繰り返してはならないおぞましい歴史的事実です。これらの歴史的事実は、いずれもこの原則に反します。一時の利己的幸せを優先して、永続的な差別 ( = 他人の不幸せ ) を生み出す事態は、どんなことがあっても阻止すべきだと私は思います。差別のある環境においては、人権は必ず侵されます。そして、差別が発生する最初の対象は多くの場合、弱者あるいは障害者です。


*初出 月刊 総合ケア Vol. 3 No. 12 1993.12

2008年5月 3日

見る・観る・聴く・嗅ぐ (22)

エッセイ 1

§ステータスシンボルの寿司

 先日、新幹線に久し振りに乗る機会があった。
 その途次、たまたま手にしたJR西日本の機関紙というか広報紙 WEDGE 4月号の中に興味ある記事がいくつかあった。
 私たちは、日常の仕事に追われ、世の中をじっくり観る余裕がないので、地球上で何が起っているのかについて、つい疎 ( うと ) くなってしまう。だから、興味ある記事に出会うと人に話したくなる。


■アメリカではゴルフ人口が急激に減っている。

 アメリカのゴルフ人口は、2000年に約3000万人いたが、現在2600万人に減少しているという。
 年間のプレー頻度も、年25回以上する人は、2000年の690万人から05年には460万人に、年間8日以上は、00年の1770万人から06年は1500万人にそれぞれ減っているという。
 プレー料金が日本と比べて大幅に安いアメリカのゴルフは、アメリカ人の気軽なスポーツとして定着していたという。だからゴルフ大国と言われていたのだ。
 ゴルフをしなくなったというのは、《 時間がない 》  《 仕事が忙しい 》 《 年金が減った 》 という経済的理由が多いという。
 このため、全米で約1万6000カ所に達していたゴルフ場も、そのうち数カ所が閉鎖に追い込まれたという。
 また、テニスやハイキング、サイクリング、スキーなどのアウトドアスポーツの人口も減少傾向にあるという。アメリカ人全体の生活スタイルに変化が生じているのではないかと、この記事は指摘していた。
 ネタはニューヨークタイムズらしい。
 私は、ゴルフをしないので、詳しいことは判らないが、このゴルフ人口の減少は、アメリカの経済が傾き出した一つの現象ではないかと想う。サブプライムローンの問題、イラク派兵などが大きく影を落としているのではないだろうか。


■寿司は外国ではステータスシンボルになってきたようだ。

 今や、アメリカやアラビア半島あるいはEUでは、寿司を食べられるのはステータスシンボルになっているらしい。このことを身近かに感じたのは、つい6カ月前だった。
 私の息子が、ニカラグア駐在の商社マンを辞めて、かつてのアメリカ イサカ大学の同級生たちとスペインで仕事をしたいと、昨年秋渡欧した。2カ月にわたって、スペインのマドリードで就職活動をしたが、それが駄目になった。息子によると、《 数年前より外国人の入国を厳しくしており、伝 ( つて ) があっても難しい。しかし、日本人であれば、日本政府関係者と寿司職人は無条件で入国を許可するんだよ! 》 と。それ程、外国では寿司がステータスシンボルとして評価されているようだ。
 つい数カ月前、佐伯の寿司屋さんがアラビア半島の王族たちに出前したというのは記憶に新しい。そこでも随分喜ばれていたというニュースがあった。
 しかし、最近、アメリカの金融界の若者や、ニューヨーカーが好んで出かけるレストランや、持ち帰り用の寿司が人気のグルメスーパーなどで一騒動が起っているという。ニューヨークタイムスでの08年1月23日号で、『 マグロの寿司に高濃度の水銀が見つかった 』 という記事が大きな波紋を呼んでいたという。
 そこには、次のように記されていたという。《 市内20店舗のマグロの寿司に含まれる水銀を検査した結果、ほとんどが1週間に6個食べると米国環境保護庁 ( EPA ) が定める摂取限度量を上回る。専門家は、水銀含有量がこれ程高いマグロは3週間に1回以上食べるべきではないと言っている。 》 と。
 このようなことは、すでに3年ほど前にニューヨークでの日本食ブームについてのある雑誌 ( 何だったけ?) の特集で、健康に良いと言われている魚にかなりの水銀が含まれているという報告がなされていた。
 BSEも問題であるが、日本人の常食とされている魚の水銀や他の物質の含有量をキチンと調べて、社会に警告する運動も必要ではなかろうか。福田首相の考えている消費者庁には、はてどうなのだろうか?
 アメリカの食品医薬品局 FDA ( Food  and  Drug  Administration ) のような権威ある組織は日本には未だない。
 日本は、今日の後期高齢者医療制度に象徴されるように、日本人自身 ・ 人のいのちを大事にし、安心して暮らせる世の中をつくるという政治風土がないということなのだろうか。唖々 !!

2008年5月 2日

日本の医療が危ない (15) 後期高齢者医療制度

後期高齢者医療制度

§ 記者会見《 後期高齢者医療制度の廃止を求める医師100人アピール 》

 4月30日、厚生労働省の記者クラブで 《 後期高齢者医療制度の廃止を求める医師100人アピール 》 の記者会見を行った。
 記者会見の時間が限られており、充分なアピールはできなかったが、労住医連 (注) の議長 斎藤竜太氏が下記の主旨を述べ、そのあと、副議長である私、松本文六がこれまで、このホームページで述べてきたことを改めて述べさせてもらった。更に後期高齢者に達している前議長の天明佳臣氏が自らの置かれた情況を述べられた。

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《 後期高齢者医療制度の廃止を求める医師100人アピール 》

 後期高齢者医療制度の内容が次第に明らかになってきています。それは 75 歳以上の高齢者を従来の保険制度から切り離し、高額の保険料・厳しい取り立ての枷 ( かせ ) を負わせるものです。また、包括診療報酬体系を導入し、検査等に制限を設けるなど、医療者にとって、高齢者の健康管理に真摯にあたることをより難しくしてしまいます。多くの高齢者を必要な医療から遠ざけ、生活と健康を破壊し、保険証 1 枚で誰でもどこでも安価に必要な医療にかかることができる、国民皆保険制度の根幹を破壊してしまうものです。
 日本の医療制度は、さまざまな課題をかかえています。今、必要なのは、参加 ・ 予防の医療を推し進めることです。そして、国民皆保険制度の理念に合致した、人びとが安心して納得のいく医療にかかることのできる解決策づくりに早急に着手すべきです。決して、経済的に患者を医療から遠ざけ、医療費を削減し、医療者に必要な医療行為を行いにくくし、医療崩壊を加速させることが、解決策ではありません。
 私達は全ての患者さんたちと医療関係者が手をつなぐことを求め、年齢、階層、所得、国籍などを問わず、すべての人びとの生命と健康を守るために奮闘してきた医師として、後期高齢者医療制度の廃止を即刻求めます。

  • 75 歳以上という区分けで高齢者を管理することは保険制度としても、健康管理とし
    ても決して患者さんのためになるものではありません。
  • 後期高齢者医療制度は、患者さんに高額の保険料、医療費の厳しい取り立てを強制するもので、容認できません。
  • その結果として患者さんの納得のいく医療にはならず、医療制度への不信を高め、ひいては医療制度の崩壊、国民皆保険制度の崩壊をまねいていくものです。

 呼びかけ人 斎藤竜太 ( 神奈川県大和市南林間 : 十条通り医院 院長 )
         松本文六 ( 大分市中戸次 : 医療法人財団 天心堂 理事長 )
         天明佳臣 ( 神奈川県勤労者医療生活協同組合 理事長 )

 時間が足りず、労住医連の会員であるすずしろ診療所の大井武正氏は別室で、患者さんのケースを取り上げて、その所信を述べられた。

注 : 労住医連 ( 労働者住民医療機関連絡会議) は、1982年に結成され、アスベスト問題、頸肩腕障害、じん肺、職業がん等の労災職業病や、地域住民医療、公害問題などに取り組んできました。医療機関数約70、個人加盟約300名の団体です。
 このたび75歳以上の高齢者が従来の医療保険制度からはずされ、問題の多い後期高齢者医療制度に組み入れられてしまう状況にあたって、労住医連が事務局となり、医師100人アピール運動を行いました。4月1日に、100人アピール公表・賛同募集を開始し、4月28日現在、賛同医師数は131名となっています。

2008年5月 1日

日本の医療が危ない (14) 後期高齢者医療制度

後期高齢者医療制度

§ お役所仕事と親子心中

 4月20日の山形市の親子心中は何とも言えない哀しさを覚える事件だった。息子は無職の58才、母親は87才。
 息子は母親の介護と職探しで悩んでおり、後期高齢者医療制度の保険料が払えない情況にあったための無理心中だったらしい。母親が4月上旬に入院し、軽い認知症と診断されて、自宅に戻ったが、介護が必要なことが判り、この時期に牧場での仕事を辞めた矢先であったらしい。20日の朝、近所の人に 〈 保険料が上がった。入院でお金がかかって大変だ 〉 と嘆いていたという。
 事件後、母親の保険料は免除対象だったというが、山形市に、息子がそのことを把握していなかったのではないかとコメントしている。
 2年前、法律が制定された時、何故、個々人に判りやすい通知ができなかったのだろうか。もっとキメの細かい配慮があれば、このようなことは起らなかったのかもしれない。
 新聞のチラシで周知を図ろうとすることには、何とも機械的なお役所仕事としか考えられない。
 新聞をとっていない人は、何で細かいことを知り得るのだろうか?
 個人情報の保護ということを盾 ( たて ) にとって、周知ができないのだという人もいる。本当にそうなのだろうか?
 民生委員が各地にいる。家庭訪問をしっかりやられている民生委員の方々も多い。そのような方々の協力をあおぐことは可能であったのではないのか?
 あまりにも、思いやりのないお役所仕事が最近は特に目につく。
 どうかしなければならないというが、どうすればいいのかが判らないので、ますます困惑する。