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2008年4月10日
私の原点
エッセイ 1
§ 父と天心堂 ④
名誉院長は私の父である。しかし、私自身、父のことをあまり理解はしてなかったと今思う。むしろ、最近になって父に対する郷愁みたいなものが日増しに強くなってくるのを感じる。
名誉院長の死には、大きく私に責任がある。父は、あの30℃を超す7月の酷暑の中を、冷房のない(父は冷房が嫌いであった)車で毎日往診を続けていた。70代の老人にとって、それを毎日行うことが如何に大変であったか。迂闊にも私はそのことに気がつかなかった。父は決して、きついから、これをやってくれとは言わなかった。家族が申し出ない限り、父の仕事を取りあげることはできなかった。こと患者のことに関しては、診療拒否をすることは一度としてなかった。家族全員で食事をとるということは、年に1回か2回しかなかったが、その食卓に患者が悪いという連絡が入ると、スゥーと席を立って行っていた。母と子供達が、その度に “ ブゥー ” と言っても関係なかった。一緒に食卓を囲むということを、いつしか、我々子供達もあきらめてしまった。
父はそのような思想と行動の持ち主であったから、往診がきつくとも、自ら代わってくれとは言わなかった。私自身が父のそのような思想と行動の本質を理解していなかったため、私自身父に対して気配りは全くしていなかった。同族経営の病院であるから何かと批判されるであろうということを前提にして、私は極めて厳しい指示を同族に与えていた。特別扱いしないと。すなわち、父が死亡するまで、私は父を天心堂の名誉院長として待遇していなかった。
* 初出 「輝かしき陽光のかげで ― 故 ・ 松本弘の想い出 ― 」 1987年9月1日発行
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