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2008年4月 7日
私の原点
エッセイ 1
§ 父と天心堂 ①
1981年7月16日、金曜日であった。朝9時、名誉婦長から病院に電話があった。「今日は名誉院長の外来の当番になっているけど、休ませてくれんかなあ。疲れているようよ。いびきをかいてぐっすり寝てるけん。何度呼んでも返事がないけん」と。私は、「うん、そうね。はいわかった」と言って受話器を置こうとして、はっとした。あわてて受話器を持ちなおし「もしもし !! もう1回大きな声で呼んでみて! 返事がなければ、おかしいよ!」と。待つ間もなく、「返事がまったくないよ !! 」と名誉婦長。「そのままにして! いいかい! 動かしたらいかんよ!」と言ってあわてて自宅にかけつける。父は、顔を右腕にのせ右を向いたまま、応答は全くなかった。脳卒中である !! あわてた。聴診器を忘れている! あわてて応急処置用具を取りに引き返す。
……気がついてみると、心臓停止を来たして、山下先生が心マッサージをしていた。
気が動転するということの意味が理解できたのは、最近のことである。あの父の姿を一見した時、私の気は完全に動転してしまっていたのだ。とりあえず、病院に移すことにした。201号室である。主治医は副院長の石丸である。細かいことは、いま記憶にほとんどない。気が動転してしまったこの間の空白は、私は医者でなかった。一人の息子、素人の、単なる患者の家族の一員でしかなかった。主治医を副院長にして、父が死亡するまでの医学的データーは何一つ記憶にない。データーを見なかったのかもしれない。姉弟妹や親戚が集まり、家があふれ、交互に付き添いながら、夜遅くまで話をしたこと以外あまり覚えていない。父が挿管され、管理されている間、当然ながら診療は続けたと思う。しかし、その記憶も余り定かではない。
* 初出 「輝かしき陽光のかげで ― 故 ・ 松本弘の想い出 ― 」 1987年9月1日発行
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