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文六つうしん

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2008年3月 7日

人は旅をして気をもらう (2) 広島

§ 広島の縮景園 

 

 3月1日、広島での非自民の自治体議員の研修会で、医療問題について講演を依頼され、出かけて行った。2月29日の夕方までに着いてくれということで伺ったところ、講演は1日の13時からということで、1日の午前中は自由時間となった。
 果て、何をするか? と考えていたら、日展 100 年というのが催されていることを想い出し、同行の Y 氏とともに出かけて行った。Y 氏は、小中学生の頃、絵が上手で高山辰雄賞はお手のものでしたということで、同行するのに Y 氏が負担かなと思ったが、そうではなくて、急に楽しくなってきた。
 広島県立美術館まで歩いてゆこうということで美術館の近くに立派な石塀に囲まれた広い屋敷みたいなものがあるので、何かなと覗いてみたら、何かしら立派な庭園があった。 『 縮景園 』 であった。こんなところが広島にあるなんぞは全く知らず、連れ合いは広島出身なのに何で縮景園を教えてくれなかったんだろうと何となく気持が急に落ちつかなくなった。帰分して連れ合いに聞くと、《 私も行ったことがない。名前だけは聞いていたんだけど… 》 と。
 いずれにせよ、立派な庭園である。敷地は岡山県の後楽園の5分の1位の広さであるが、趣向は縮景園の方が随分良かった。
 この縮景園は、広島藩主浅野辰晟 ( あさの ながあきら ) が入国の翌年の1620年に、別邸として築城されたものという。この庭の設計は茶人として知られていた家老の上田宗箇がしたという。
 園の名称は、幾多の勝景を集め縮めて表現したためにこのようなものになったという。また、中国の杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられているという。
 1945年の8月の原爆投下により、焼失していたが、県教育委員会の手で修復されたという。京橋川に沿って造られていたため、原爆投下直後には、この園に多くの人が避難し、そこで数十人以上の人たちが亡くなられ、その遺骨をきちんと収集したあとに再建されたという。
 確かに茶人として有名な家老が考えただけに、コンパクトによくまとめられている。岡山県の後楽園は、とにかく広いだけで何の特色もないが、この縮景園はなかなかのもので清風館という数奇屋造りで屋根はこけら葺きだという建物があるが、建築的にも秀出もんという印象を受けた。。
 池の中央に跨虹橋 ( ここきょう ) という石橋がかかっているが、その石のアーチは、段々ではなく、アーチに近い形となっており、しかも円の半径が小さいのでスゥースゥーと歩いては登れず、縁につかまりながらでないと渡れない。そのまま縁を捉まらなかったら池に落ちてしまう構造になっており、純粋に飾り物として作られたものと思われる。今回は多種類の梅の花が見事に咲きほこっていて、こんなにも種類があるのかと感心してしまった。知らない世界が沢山あるんですよね。

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