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2008年2月28日
人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
旅
§五島列島 ④
五島は、日本のカトリックのメッカという気がする。あの狭い島々の中に何と五十余りの教会があり、すさまじい弾圧の歴史を伴っているのであるから。
日本とカトリックの出会いは、ポルトガル人が種子島に上陸した1543年のわずか6年後の1549年であった。この年の8月15日をフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した日とするのがカトリック関係者の中での了解事項らしい。ザビエルが1546年、マラッカでヤジロウという日本人に会って日本への布教を思い到ったという。
その後宣教師が渡来し、布教活動を行い、徐々に信徒が増えていったという。1562年、五島の領主宇久純定が病気のため宣教師トーレス神父に医者の派遣を依頼。日本人医師ディエゴを派遣したところ、純定は数日で全快し、五島での布教の許可をしたという。ある本によると、1563年、肥前大村藩主大村純忠が改宗したのをはじめ、高山右近、大友宗麟などが相次いで受洗したという。
しかし、1587年、豊臣秀吉は九州箱崎 ( 福岡市 ) で突然宣教師追放令を出し、キリシタン弾圧に乗り出した。その10年後の1597年に 《 日本・26聖人 》 殉教。この時、五島出身のヨハネ草庵も殉教する。
さらに、1614年1月31日、徳川家康はキリシタン禁令を発布。全宣教師を追放し、密かに宣教を続けていた神父や修道士、彼らをかくまった信者たちは、次々に処刑された。踏み絵制度などで、この禁教令は年々厳しさを増し、また、懸賞金つきで宣教師を捕え処刑したりした。これらの制度は250年間続いたという。
しかし、この間、信仰は深く深く潜行し続けて行った。このような信者を “ かくれキリシタン ” とか 《 はなれ 》 とか呼ばれ始めたのはいつ頃だったのだろうか? 表向きは仏教徒を装いながら、秘密裏にキリスト教信仰を守り続けた。この “ かくれキリシタン ” が歴史の表舞台に立ったのは、1865年2月19日、長崎にフランス寺と呼ばれた大浦天主堂の建物ができた時である。キリスト教を密かに信仰していた農民十数名が自らキリシタンであることを告白したことに始まるという。
その3年後の1868 ( 明治元 ) 年に先に述べた久賀島の “ 牢屋の窄 ( さこ ) ” 事件が起きている。また、1870 ( 明治3 ) 年には浦上のキリシタン約3000名が流刑にあったという。
ところが、このようなキリスト教徒への弾圧と迫害が人権侵害として外交問題に発展し、1873 ( 明治 6 ) 年に250年以上続いたこの “ 禁教令 ” は終りをつげた。
五島にキリスト教を伝えたのは、アルメイダとロレンソと堂崎天主堂の庭園に記されているが、このアルメイダが大分に南蛮病院を開いたというアルメイダと同一人物かどうかは、小生、松本文六は知らない。
― つづく ―
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