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文六つうしん

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2008年2月26日

人は旅をして気をもらう (1) 五島列島

§五島列島 ②

 今でこそ、信教の自由が保障されているが、昔はとんでもないことが行われていたようだ。高校の世界史の歴史の中で、キリスト教がイスラム教徒を異教徒として討伐するために、1096年から13世紀後半に至るまで7回にわたって行われた遠征を教わった時、キリスト教は愛の教えを説いているのに、どうしてこのようなことをしたのかとひどく途惑い、大きな疑問をもっていた。それについては、教師は何も教えてくれなかった。
 大学に入学して、留学生に誘われてキリスト教会に一時出入りしていたが、牧師と司教の区別も判らないまま、それを止めてしまった。それは、そこの牧師と司教があまりにも俗っぽいことに気がついたからである。それ以来、小生、松本文六は彼らのことをエセ坊主と呼んで、彼らと親しくなる気にはなれなかった。その後、真摯なキリスト教徒にお会いして、彼らをエセ坊主と呼ぶのはやめてしまった。
 ちなみに、牧師はプロテスタント教会の聖職を指し、カトリック教会のそれを司教という。
 また、豊臣秀吉が、1587年に宣教師追放令を発布し、キリシタン弾圧を始めたのは、彼らが封建支配に反対し、暴動を起すのではないかと恐れたと高校時代に教わったが、その弾圧のすさまじさには、この年65才になってはじめて知ることとなった。だから、人は旅をやめられないのだと思う。
 福江島の堂崎天主堂には “ 26聖人 ” の1人となって殉教した 『 五島ヨハネ像 』 をはじめとした五島のキリシタンの歴史を語る資料館と記念庭園がある。この五島ヨハネ草庵は、1597年大阪で捕えられ、長崎まで800キロ、33日間にわたって歩かされ、十字架上で殉教したという。その時19才の青年であったという。時に1597年、関ヶ原の戦いの3年前である。
 1614年、徳川幕府のキリシタン禁止令発布。五島におけるキリシタン弾圧も熾烈さを増し、多数の殉教者を出しながら壊滅状態となり、約160年の間信徒は途絶えてしまったという。
 1797年、弾圧の激しさとともに大村藩の外海 (そとめ)
から五島藩への農民の移住が行われ始め、再び五島のキリシタンの歴史も始まったという。新天地での平和な生活を夢みていたらしいが、《 聞いて天国、来てみりゃあ地獄 》 だったという。それは荒れた土地の開墾しか許されなかったからだ。
 ガイドの説明を居眠りの中で聞いていたら、このあたりの事情は遠藤周作の 『 沈黙 』 に詳しいらしい。小生、松本文六は未だそれには目を通していない。遠藤周作の代表作らしいが。

                                                         ― つづく ―

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