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2008年2月23日
見る・観る・聴く・嗅ぐ (6)
時事エッセイ
§東大寺南大門の仁王像に想う
沖縄でまた、婦女暴行が起きました。このことにヤマトンチュウはあまりにも無神経であり過ぎるのではないでしょうか? 他人のことで自分とは関係ないとでも思っているのでしょうか?
日本人は怒りを忘れた民族なのでしょうか? それとも国による庶民に対する経済的な締めつけで、あきらめきっているのでしょうか? もしあなたの子どもが娘さんが強姦されたら、黙っておられないのではないでしょうか?
他人の痛みは自分の痛みと少しでも感じる想像力は、これまでの教育で喪失させられたのでしょうか?
東大寺南大門には運慶・快慶の合作である仁王像があります。小生、松本文六は、この仁王像は、鎌倉初期の世に対する憤怒の感情を表現したものだと考えています。
何故あれ程の表情が寺の入口にあるのか? これは相当に深く研究するに値することだと松本文六は考えます。
小生、松本文六は、白内障でどうかして欲しいという患者さんとこういう会話をよくします。患者さん、手術するとあなたの顔のしわがしっかり見えますよ、それにあなたがしわがなくきれいな人だなあと思っている人のしわもよく見えてがっかりするかもしれませんよ。そういうことででも手術をしたいというのであればいいんじゃないですか? と話します。
大分県で生れた高名な日本画家、高山辰雄氏の朦朧画は、もしかしたら、白内障の視点で描かれているのではないか? と邪推しています。彼の透明感のある絵には邪心がない、あまりにもきれいすぎます。小生、松本文六には雲上人の絵だと解釈しています。彼の絵には怒りや憤りがないからだろうか。
そういう意味では小生にとって東大寺南大門の仁王像は、小生、松本文六は一度しか見ていませんが、強烈な印象を心に刻みつけられています。
次に会う時には、どういう感慨を持つのでしょうか。何となくもう一度会えば、もっと心がときめき、生気をいただけれるのではないかと思っています。
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