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2007年12月29日
出立ち姿の老婦人~老健での経験から
エッセイ 1
医者として病院で診察する時の驚きや感動は、意外と早くくすりが効いたとか、日増しに良くなっていく患者さんの姿や、退院を喜ぶ家族の姿などの中にあります。30年も医者をやっていますと、驚きや感動の揺れが少なくなってきます。一言で申しますと鈍感になってしまいます。急病や救急の患者さんを診ている時には、驚きや感動を覚える暇はありません。とにかく早く処置しなければ! という意識が先に立ちます。人間の体を時には“物”として扱わなければ救命することさえできないことがあります。それは一刻を争う医療行為の量の多寡に関係しています。
外来での診療室での患者さんとの会話あるいは救急外来や病棟での患者さんとの対応で感じる感覚的空間は、介護老人保健施設でのそれとは全く異質なものです。介護老人保健施設での時間は、救急や病院の時間に比べますとゆっくり、ゆったりしています。それは、サービスを提供する私たちの側に人を観察する余裕をもたらします。
ある晩、仕事を終え帰ろうとしていますと、お年寄りの女性がエレベーターの近くに帽子をかぶって人待ち顔に椅子に座っているのに気付きました。椅子のかたわらには、衣服らしきもののつまった紙袋が二つ程ありました。それは、まるで汽車の来るのを待っている“出立ち姿の老婦人”という一幅の絵画をみるような光景でした。数日後の昼にもその“絵”を見ることになりました。職員に尋ねますと、5日前に入所されたといいます。
そして、他日、その老婦人の部屋を覗くと、ベッドの脇には、いつか見た紙袋が二つありました。その老婦人は家に帰りたいのでしょう。家では呆けのせいで面倒をみきれなくなって家族の方はここにあずけたのかもしれません。他方、私たちの眼から見ますと、徘徊するのでもなく、夜中に大声で喚(わめ)くようないわゆる“問題行動”も見られませんので、家に帰しても大丈夫なのではないかと想っています。
しかし、彼女は帰れないのです。何とも哀しい光景ですが、西欧の天国の日常を描いた一場面をみるようなある種不思議な醒めた感覚を抱かされました。
あるアンケート調査によりますと、70%の老人は自分の家で暮し死にたいと思っておられるらしいのですが…。
〈数年前に介護老人保健施設に寄せた文章を一部修正加筆しました〉
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