文六の主張 (論文・発言)
松本文六は医療問題を中心に、さまざまな場で発言し、論文を発表しています。その中のいくつかを紹介します

2002年11月1日
医療改革の現実と幻想 ~“小泉改革”の正体はセイフティーネットの破壊である~

はじめに

 本年4月の診療報酬改定は、医療界に大激震を招いている。とりわけ、整形外科領域の外来“リハビリテーション”の実質的診療制限で、整形外科関連の診療所は、悲鳴をあげている。院所によっては6~16%の医業収益減といわれ、PTの人件費を賄えないために、辞めてもらったり、院長の給与を20%削減したとかいう話を耳にした。

 天心堂へつぎ診療所では、4月から外来患者数が恒常的に約10%と激減している。これは、某大学小児科が当院への医師派遣を急拠中止し、小児科医が半減した要因もあるが、他方でその1割減の患者数の何と63%が物療も含めたいわゆる“リハビリ”である。この領域の医業収益は前年同月(8月)比49%も落ち込んだ。

 この10月から、70才以上の高齢者の外来自己負担分が1割となり、上限額は3,200円から12,000円と一挙に3.75倍となり、低所得者といえども8,000円と2.5倍となる。今や、気軽に医療機関にはかかれなくなってきている。
 “小泉改革”とは一体何なのであろうか?医療費が安いという日本国民の意識を破壊するための意図的改革だったのだろうか?それとも政治哲学の裏づけの全くない無意識的・衝動的な《痛みを分かつ》改革だったのだろうか?



Ⅰ患者が受診を躊躇する場合

 64才の某男性の事例(仮にTさんとする)を実際に体験すると思わず考え込まざるを得ない。Tさんは右の膝蓋骨骨折で某病院で手術を受けた。入院中の検査で微少血尿を指摘され、精密検査を要請したところ、《内科の病院で診てもらって下さい》と言われ、私の外来を訪れた。入院中のデータは、尿中潜血(+++)であった。そこで検査計画を立て施行。元来健康で、あまり医療機関を受診したことはなかったという。初診時の自己負担額は5,070円。次の予約日は《都合がよくない》と受診されなかった。検査にはあと2回の受診が必要だったが、再度の予約日にも受診されなかった。少々気になったので、自宅に電話をさしあげたところ、《年金生活のため、出費が重なり検査を受けられそうにありません。10月には何とかなりそうですので、時期を延ばして下さい。本人の体のことが心配でしたので、いい機会とは思うのです。よろしくお願いします。このことは主人には内緒にしていて下さい。》と夫人が返答。因みに、2回目と3回目の診察・検査の自己負担合計額は3,361円の見込みだった。
 これは、ほんの一例でしかない。この10月から、70才以上の高齢者の医療費は定率1割負担となる。在宅総合診療料の対象者である訪問診察を受けている高齢者の負担額は、9月までは定額制だったので月2回の訪問診察で1ヶ月2,210円だった。それが、この10月からは、訪問診察を月に2回受けると、何と5,860円(2.65倍!!)となる。天心堂へつぎ診療所では100%院外処方なので、これ以外にくすり代の支払いも必要となる。現在、へつぎ診療所の訪問診察対象者は毎月約90件に及んでいるが、10月からの改定は、Tさん以上に所得の限られている高齢者とその家族にとっては結構な負担感で、訪問診察を拒否されるケースも出現するのではないかと少々心配である。病状が月一回の訪問診察では到底把握できない。訪問診察の対象者は寝たきり老人が大半なのだから。
 受診抑制はすでに始まっている。来春の社会保険本人の3割負担が導入されれば、このような現象はますます増えるだろうと推測される。



Ⅱ医療を提供する側の怒りととまどい

 4月の診療報酬改定で、外科系医師の怒りは頂点に達している。ある外科系医会の医師は、《日本医師会の会長がこんな滅茶苦茶な改定をのんだのは許せない。万死に値する!!》と公の場で発言されていた。その医師は更に付け加えて、《江戸時代なら切腹ものだ!!》と。かかる怒りを発した医師たちは、技術力のある声の大きな医師たちだが、内科系の医師とりわけ小児科医たちはとまどいを隠せないでいる。
 一つは手術の施設基準の設定で、もう一つは、小児科医の数による点数格差であり、入院が180日を超えた場合の特定療養費の導入⇒減算方式です。
 この診療報酬改定に対し、四病院団体協議会(以下『四病協』)は早速4月17日に『声明』文を公表した。その骨子は、
 (1)史上初のマイナス改定で、日本経済の現状に鑑みると大枠での医療費抑制はやむを得ない。
 (2)しかし、今回の改定は医療の質を下げるものであっても上げるものとはなっていない。
 (3)特に問題なのは、長期入院や大病院での再診に特定療養費制度を導入したが、これは従来の特定療養費の範疇を超えて医療本体の技術料にまで拡大しており、これは形を変えた自己負担増でしかない。
 (4)手術の施設基準の設定は、厚労省が厚生省時代より推進してきた医療計画そのものを無視するに等しい。翌18日には、四病協は、今回改定に関する公開『質問状』を厚労省に提出したが、いずれも、怒りととまどいに満ちた文章である。

(1)手術の施行基準について
 外科系領域では、手術例数と医師の数により、基準症例数に達しない場合には手術手技料が30%減算される形となっている。
 人工関節置換術の場合、整形外科を標榜する5年以上の経験を有する医師が3名以上勤務し、年間50例以上の手術実績数がないと、手術手技料が30%減算されることとなる。A病院は経験5年以上の医師が3名で、それぞれ25例・20例・7例の人工関節置換術をすれば100%算定される。他方、10年以上の経験豊かな医師が1人と6年目の医師2人と研修医1名の病院の年間手術例数が30例の場合には70%しか算定されない。これでは数と質が必ずしも一致せず極めて不合理で、医師の技術の質に基づく評価とは程遠いものがある。
 これは四病協の『声明』が指摘する《医療の質の向上に寄与する改定》には完全に反している。医療界の総反発で、厚労省も一定の緩和措置をとらざるを得なくなったが、…。
(2)小児医療の領域
 小児科医の数と平均在院日数によって、小児入院医療管理料が1日につき2,100点、2,600点、3,000点と大幅な格差が設けられた。小児科医が5人以上、看護基準1.5:1、平均在院日数14日以内という基準はこども病院レベルである。そこでは、各専門分野だけをみれば良いし、休暇もお互いの融通でそれなりに取得することができる。しかし、1~2名の小児科医しかいない病院では、小児のすべての領域をカバーせざるを得ないし、他科の医師が当直の場合には、しばしば深夜に呼び出される。中小零細病院(多くは地方の)の小児科医は過労で倒れかねない。そのような場合には、小児科を閉鎖するか、小児科医自身がその病院を離れざるを得ない。今回の改定(厚労省)は大都市を想定した上での小児医療の強力な再編を目標にしているとしか考えられない。地方の、そして地域の中小民間病院は想定外であったと想われる。診療報酬などを最終的にそして実質的に決定する中医協の委員は大都市に住み、地方と地域の中小病院の小児科の実態を全く知らない人たちで構成されているのであるから。今回の診療報酬の改定作業に従事した委員や技官たちは、小児入院医療管理料の設定が、《1~2人の小児科医しかいない病院は小児科を閉鎖しろ》と断言しているに等しいことに全く気付いてさえいないであろう。
(3)180日超え入院の特定療養費化について
 これは長期入院患者の病院からの締め出しを目論んだもので、ここでも実質的自己負担増を図っている。厚労省の当初の目的は、《社会的入院の是正である。》と主張していた。しかしながら、病院から退院を余儀なくされた患者さんの行先がどうなるのか?ということに対して厚労省は明らかに頬被りを決め込むつもりであったと思われる。因みに、退院を余儀なくされた患者さんは、介護保険施設に救いを求めることになる。しかし、介護療養型医療施設も介護老人保健施設も待機者が多く、簡単には入所できない。ましてや介護老人福祉施設(いわゆる特養)の待機期間は全国的に2年~3年待ちなのだから。介護施設にはいってくれれば医療保険の管轄外だから自分たちは責任をとらなくともいいと担当技官は考えていたのだろうか?
 しかし、幸いなことに、四病協などの抗議で、特定療養費の対象としなくても良い病状のケースを14項目あげ、実質的には撤回された形で落着した。蓋し当然である。



Ⅲ小泉医療“改革”の本質

 いずれにせよ、今回の診療報酬改定の基本的視座は、①大都市・大病院(多くは公的病院)重視、地方および中小病院軽視の医療提供体制の構築と②貧しき者は医療を受けるべきではないという思想に由来していると私は思う。又、医療"改革"の方向性は、すべてアメリカに倣うつもりらしい。しかし、アメリカの医療の質・レベルには学ぶべきことも多いが、陰の部分は決して学ぶべきではない。日本においては、むしろこの陰の部分をどうするかの視点で再構築されるべきなのに、厚生労働省の官僚は陰の部分の拡大に手を貸しているとしか私には思えない。
 疾病は、貧困の中で多発し、衛生・公衆衛生環境の改善によって感染症をはじめとする急性病は減少し、成熟社会とともに慢性病が多発する。又、公共交通機関が発達し、病院と診療所の機能分化がはっきりしている大都市における公的大病院では、今回の診療報酬は是とするのかもしれない。すなわち、大学医局と直結した大都市の大病院(多くは公的病院)は医師確保が容易だから。しかし、大都市の民間中小病院及び地方の地域に密着した医療を真摯に展開している医療機関であっても、旧態依然とした医局講座制の下では良質な医師を確保することは困難である。このような視点よりすると、かかる中小民間病院は怒り天に達する想いであろう。
 国家財政が逼迫しているので、医療費の削減は致し方ない、患者にコスト感覚を持ってもらうために自己負担は止むを得ないという、国とマスメディアのキャンペーンをそのまま鵜飲みにすべきではない。貧困と疾病の関係を考えるならば、改革のターゲットは医療費の配分方法に絞るべきである。少しデータは古いが、'99年の国民医療費は約31兆円。しかし、その内訳をみると医療費上位1%の患者が医療費全体の4分の1、25%を使い、上位10%で何と医療費全体の60%を使っている。とすれば外来の自己負担を増すよりも、上位25%の内訳を分析し、医療保険で賄うものと賄うべきでないものとをはっきり区別し、医療保険における最低保障をどこまでするのかを明確にし、医療保障の限界線を明示すべきである。即ち、医療保険ではここまで保証する、しかし、遺伝子治療や再生医療などのいわゆる先端医療は、科学研究費と自己負担で賄う、臓器移植や生殖医療など他者を介在させる医療は自由診療でやってもらうという形で。
 そして、どうすることもできない無力感に陥った貧しき者は近代医学の最低の成果をも享受できないという悲しい時代を阻止しなければならない。
 小泉首相の本音は、官尊民卑の思想であり、医療の実態に逆行する大都市・公的大病院中心の医療“構造改革”を通して国民皆保険制度を解体することにある。即ち、《いつでもどこでも誰でもより良い医療》を目的とした社会的セイフティネットである国民皆保険制度を解体するつもりなのだ。又、他方、経済的効率性のみを重視した小泉"医療改革"は、結論的に言えば、医師の卒前・卒後臨床教育をベースとした医療安全対策にさえ充分な手を打たないまま、人を物とみなした医療の大展開を産み出し、質と予防を旨とすべき医療を早晩破綻させることは必定である。自己負担増を骨子とした“小泉改革”は、医療機関への《かかり易さ》を全く保証していないので国民総医療費は逆に却って拡大するのは火を見るより明らかである。このような小泉医療"構造改革"の基調は、経済税制諮問会議、総合規制改革会議及び産業構造審議会新成長政策部会の意見具申に依っているが、これら三つの首相の諮問機関の委員の中には、医学・医療関係者は唯の一人も含まれていないことは“小泉改革”の正体を如実に示している。
 医療は社会のセイフティネットであり、社会的共通資本である。従って、最も国民に近い立場で展開される保健・医療・福祉領域においては、現場の矛盾の分析を通して、次の医療政策が決定されるべきである。このことの自覚のない小泉政権と利権政治家及び厚労省の官僚の頭脳こそ構造改革されるべきである。そのための方策を練り実現させることが今こそ国民から日医・病院団体・厚労省も含んだ医療界に要請されていると私は思う。



Ⅳおわりに―私の医療構造改革へ向けての提案―

 私は、国際的経済学者である宇沢弘文氏の言われる《医療は社会的共通資本である》という視座から、以下の提案をしたい。このような方策でしか、日本の医療改革はできないし、国民が期待する質の高い安心できる医療提供体制はできないと考える。

《私の医療制度の抜本改革案》

(1)医療機関は社会的共通資本であることを出発点とする。
(2)国民医療費の内訳を分析し、セイフティネットの医療保険で保障する限界線を明確にした上での診療報酬体系を構築すべきである。
(3)保険者団体の財政情況を公開し、各種健康保険を一本化する。
(4)官公立病院の経理と助成金を別枠とした財務諸表を公開し、経営実態を明らかにする(官民格差の是正)。
(5)官民の役割分担を明確にする。
(6)医科系臨床教室の講師以上の地位を欲する者あるいは100床以上の病院の院長に就任したい医師は、30代前半に第3世界や無医地区での実地診療に2年以上携わることを義務化する。
(7)医師養成機関の入学資格を4年制大学卒とする。
(8)さしあたり、2年間の卒後研修は、大学病院以外の第一線地域医療機関で行わせ、単独診療を禁止する。
 又、研修期間中の教育的・社会的・経済的保証をキチンと実行する。
(9)医師の都市集中・偏在を是正するため、医師の適正配置基準を法制化する。
(10)病院を営利と非営利法人に分け、現在の特定医療法人を社会福祉法人や民法上の財団法人と同じ扱いとする。
(11)医業にかかる消費税の在り方を抜本的に見直し原則課税とする。
《論文サマリー》
 小泉医療改革の正体は、社会的セイフティネットの破壊である。医療保障の骨幹に予防と質を据え、医療保険で賄えるものと賄えないものに区別し、医療保障の最低限界線を設定すべきである。この視座から、具体的改革私案を提起した。