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「戸次のヒゲの先生」と呼ばれた父
1942(昭和17)年、大分市中戸次に、松本弘(松本医院)の8人きょうだいの5番目の長男として生まれました。戦争のさなか、敗戦まぢかのことです。
近所の年上・年下の友だちと、近くの野原やため池でよく遊びました。
父は戸次で医院をやっており、まゆは黒かったのですが、白いヒゲでおおわれていましたから「ヒゲの先生」と呼ばれて親しまれていました。
1961(昭和36)年以前の健康保険のない時代には、治療費の代わりに野菜が届けられていました。
裏口にそっと置かれたほうれん草のことをよく覚えています。
受験地獄のまんなかで
戸次小学校・戸次中学校を経て、上野丘高校に進みましたが、受験競争のいちばん過熱した時期で、私にとってはつらくて暗い日々でした。修学旅行も運動会も30キロの強健遠足も中止させられて、補習やテストに明け暮れるという日々でした。
学校に行くのが本当にイヤでした。よく休みました。いまで言う登校拒否でした。
だから、いまのひきこもりの人たちの気持ちはよくわかる気がします。
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母親って、すごいなあ
医者になるとは思っていませんでした。新聞記者か外交官になりたいと思っていました。
慶応の法科と経済、それから東大の文科に願書を出していましたが、法科に落ち自信をなくし、これでは慶応も東大も無理だと、母に「もう1年浪人させてくれ」と話しました。
母いわく「九大医学部に願書を出してある」と。あぁ、九大を受けることで親が安心できるならと思い、受けたら合格してしまいました。
大学構内に戦闘機が墜ちて
九大にはいった2年間は自分なりによく勉強したと思います。
1968年、アメリカ軍のジェット機が九大工学部に墜落するという大事件が起きました。その近くに住んでいましたので、すぐに見に行きました。
アメリカ軍の戦闘機が、建築中のコンピューターセンターの5階に突っ込み、傍(そば)の松の木にパラシュートがひっかかっていたのを鮮明に覚えています。
文六の反骨魂に火がついた
この事件が私の「社会」に対する目を開かせてくれました。
大学は大騒動です。学長を先頭に右も左も関係なく、連日抗議行動と米軍板付基地撤去のデモ行進を行いました。
私が『こんなことがあっていいのか!』と初めて憤りを覚えた最初の出来事でした。
医学部自治会の委員長に推されて、「健康保険法」改悪反対、「大学管理法案」反対という狼煙(のろし)をあげて闘いました。
1969年5月には、九大医学部の学生は無期限の授業放棄を開始しました。医療や大学はこれで本当にいいのか? というさまざまな疑問が、私を自らの将来など考えることなく、起ち上がらせました。
この運動のなかで、私はさまざまな経験をしました。デモで逮捕されたこともありましたが、「医療は誰のためにあるのか!」という私の想いは強くなるばかりでした。
この激動のなかで、つれあいに出会い、結婚しました。以来今日まで、妻と3人の子どもが私を支えつづけてくれています。
種子島の無医村地区訪問 1966年
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何のため、誰のための医療か
国家試験に無事通り、福岡市の千早病院に小児科医として就職し、随分と勉強をさせてもらいました。「何のため、誰のために医療はあるのか」と思いつづけながら勤務しました。
生後間もない子どもの太ももに多数の筋肉注射をすることによる「筋短縮症」や未熟児に酸素を与えすぎることによる「未熟児網膜症」などを調査・研究しました。その結果、子どもへの筋肉注射や酸素のやりすぎを止めさせることができました。この経験は、いまでも私の日々の診療の支えとなっています。
医者になって8年後、戸次に帰り、父の医院を手伝いながら、「天心堂へつぎ病院」を1980年に創り、本格的に地域医療に取り組み始めました。
夢に一歩近づいた
それから三十有余年がんばって、今日の「特定医療法人財団 天心堂」を創ることができました。私の夢にそれなりに近いものになっていると思います。
地域のさまざまな医療・福祉・介護施設などが協力しあう医療体制にしたい。地域の方々にとっては、「身近なかかりつけ医」がいるということは生活する上での安心感になると思います。
患者さんの病状だけを診てはいけない、その患者さんの生活環境を自らの目で見て、病に至ったその人の生活を踏まえた診療をしなければと思います。
このような点で、予防に力点を置き、「出かける医療」、「見ざる言わざる聞かざる医療はしない」(いまでいう納得のゆく医療)、「生活を見つめる医療」という考えの下で医療を求めつづけたいと思っています。
「天心」というのは「太陽」を意味します。太陽は富める者も貧しき者も平等に照らします。患者さんを差別しないという意味で、この「天心」という言葉は医療の心にかなっています。
この天心堂という病院の名前に医療を行う気構えを込めて、今後ともより良い医療を地域の方々に提供してゆきたいと考えています。
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