| 2月19日(火) 見る・観る・聴く・嗅ぐ (4)
§道路特定財源問題
小生はテレビを見ることが少ないせいか、新聞をみても何が問題か理解できないことがあまりにも多い様な感じがする。松本文六は、今のマスメディアは、速く知らせることのみに汲々として、事件や事実に関するその本質を的確に捉え、それを読者や視聴者に伝えることをおろそかにしているのではないかと考える。 道路特定財源問題について、問題の本質がどこにあるのか、つい最近までサッパリ理解できないでいた。 A君が、少し調べて小生に教えてくれた。自民党や道路族が暫定税率を廃止せずに丸々道路に使うべきだと主張し、民主党は暫定税率を本則
( といっても1954年―昭和29年に成立した法律 )
通りにして、ガソリンを25円弱安くすれば良いと主張し、国民の関心を惹こうとしている。しかし、どうもどちらの話もマユツバモノで乗れない感じがしていた。 A君曰く、《
道路特定財源とは、「揮発油税」、「石油ガス税」、「自動車重量税」、「自動車取得税」、「軽油取引税」などからなります。元々、道路に使う目的で徴収する目的税なのです。そして、このうち約3兆5000億円が国に入り、約2兆2000億円が地方に入ることになっているのです。これを国土交通省が暫定税率をそのままにして、全額を道路を造るのに充てるといい、民主党は減税すればいいということで、地方に向けられる約2兆2000億円がいずれにしても宙に浮くことになる!ということで知事達の怒りを買っているのです。それに対して、民主党は地方への税収が失われれば、地方が道路予算として計画していたことが実行できなくなり、同時に、新年度の予算も立てられないとの窮地にたたされることを理解していなかったし、与党は与党で、小泉政権で公共事業費を毎年3%ずつ削減し、その分を一般財源化するという閣議決定さえ無視してすべて道路に振り向けるということを大臣の口から言わしめたために、大混乱が起こったのです。》
と。 小生、松本文六、納得。松本文六は、どういう道路を全国各地で優先して造るのようか、はたまた、高速道路の非常時に使うための電話1台250万円というコストをどれだけダウンさせ、いかに節約するかという視点での見直しをせずにこのようなタレ流し的発想―自らの懐
( ふところ )
は痛めないで選挙に勝つために国民の歓心のみを目当てにしている政治家のあさましさと、何一つ責任をとらずに済み、自らの老後のことだけ考えていれば良しとする高級官僚の根性にあきれ果ててしまう。 勝海舟のような幕臣、あるいは赤穂浪士の心根のひとかけらさえみられないことに、小生、松本文六は本当に哀しい。
勝は日本の将来を憂えた高級官僚であったし、赤穂浪士は忠実な当時の公務員だった。そして、後者は殿様の代わりに国民と置きかえて考えれば、国民のために何をすべきかわかるであろう。そのような二者の爪の垢
( あか ) でも現在の政治家と高級官僚には煎じて飲んでもらいたいものだと、小生、松本文六は思うのです。
2月20日(水) 見る・観る・聴く・嗅ぐ (5)
§体によい “ 健康食品 ” は?
文六先生、わしゃあ毎日酢を少しずつ飲んでるんじゃから、体の調子がいいんかなあ!と患者さんに言われことが2~3度ある。また、クエン酸を飲んでいるんじゃ!とか、ウコンがいいよ!と言う患者さんもいる。 これらは、昔から言い伝えがあり、結構実行されているようだ。しかし、最近のいわゆる健康食品と称されるものは、何となく胡散臭(うさんくさ)い。月に5000円以上、時には数万円するものを愛飲、愛服している人も結構いる。 60代のある男性が、《
先生、娘に言われてあるサプリメントを飲んでいるんですが、いいですねぇ。体重が2~3キロ増えたんですよ。それに食欲が出てきてですね。》 と。《
それは液体ですか?》 《 いえ、粉ですよ 》 と。小生、松本文六が気になったのは体重が増えているという点だ。《
それは少々問題があるのではないんですかねぇ。ステロイドホルモンがその中に入っていると思いますよ。食欲が増え、体重が増えたのは、ステロイドのせいという気がしますねぇ。ステロイドは熱を下げる作用もあるんですよ。長期に飲み続ければ、血圧が上がったり、糖尿が出たりするんで、2~3ヵ月休んでみたらどうですか?》
と助言をした。 2~3ヵ月後、その患者さんは、元の体重になって診察室に顔を出した。しかし、いつの間にか、その患者さんは姿を消してしまった。一体今はどうしているのだろうか? 元気であればいいのだが……。 ところで、酢は確かに体にはいいらしい。鹿児島の黒酢は学問的にも研究され、普通の米酢の十数倍に当たるアミノ酸や有機酸を含んでいるらしい。
食酢の大手メーカー、ミツカンの研究所によると、酢には胃の粘膜の保護作用があり、病原性大腸菌O-157やサルモネラ菌、ボツリヌス菌などによる食中毒に対する抗菌作用がある、血糖値上昇を抑制する効能のあることが証明されているという。 そして黒酢には、九州大学の研究で血液をサラサラにする作用があるということが判っているという。また、この黒酢には悪玉コレステロールを減少させ、善玉コレステロールを増やす効果もあるという。 酢は、カルシウムや鉄分の吸収を促進し、骨粗しょう症にも有効。さらに、肩こりや筋肉疲労にも効き目があるという。これは、疲労の原因となる乳酸が分解されるからだと科学的に証明されている。 黒酢で有名な鹿児島県福山町の黒酢は製造過程では何も加えず、太陽熱や地熱、日中と夜間の温度差など自然のエネルギーだけを利用し、古薩摩の壺の中で醸成されるというのだから、まさに天然の産物で、人体には益があっても害はなさそうだ。 小生、松本文六も水で薄めて1日1~2回飲用して人体実験をしてみようかな。しかし、これといった健康障害がないので、そこまでの人体実験は不要かなとも思う。
2月21日(木) 日本の医療が危ない! (3) 医療事故
§今、医療界では何が問題となっているのか ①
―『診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案』
現在、医療に関する新聞やテレビの報道は一日も欠かさない程よくみられます。 その中で、ここ数年、医療訴訟が急激に多くなってきています。そのために、医師一人ひとりが、いつ裁判に訴えられるかもしれないと、ごく一部の医師を除いて、戦々恐々として
“ 保身診療 ” に走っている傾向があります。
《 こんな重傷や重症の患者さんを診 ( み )
ていて、万が一トラブって、訴訟に巻き込まれたらたまらない!》
ということで、時には診療を拒否する傾向が出てきています。 医師も人間ですから、間違いを犯すことはあります。ところが、最近のマスメディアの報道を注意深くみていますと、すべての地域で最高の医療が受けられるのが当たり前だという論調が目立ちます。そして、健康保険で受けられない治療が沢山ある、厚生労働省は早く認可すべきであるという形のニュースがしばしば流れます。このような中で医療不信が次第に強くなり、モンスターペイシェント
( Monster Patient 怪物のような患者 ) が出現しています。
このような医師と医療機関と患者さんの信頼関係をこれ以上こわすべきではない。《
診療行為には、一定の危険を伴なうものであり、場合によっては、死亡等の不幸な帰結 ( 結果 ) につながる場合があり得る。》 このように 《
不幸にも診療行為に関連した予期しない死亡が発生した場合に、遺族の願いは、反省、謝罪、責任の追及、再発防止であると言われる。》 そこで、厚生労働省は、医療事故調査委員会なるものを設置して、死因の調査や臨床経過の評価・分析等をして、同じような事故が再び起こらないようにしたい。と
『 診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案 』 ( 以下、『 試案とします 』
)を、昨年10月に発表しました。この内容には随分問題があります。 この問題について、以下数回にわたって述べさせていただきます。
そもそもこのような事態が何故起こったのか? といいますと、2004年12月17日に、福島県立大野病院で帝王切開中の出血により患者さんが死亡しました。その当事者であるK産科医が、1年2ヵ月も経った2006年2月18日、業務上過失致死罪及び異常死の届出義務違反
( 医師法違反 )
の疑いで逮捕されました。 このケースは、産婦人科医が一生に一回遭遇するかしないかという程、稀な症例で、救命することの可能性が低い事例でした。そのため、産婦人科医の中だけでなく医療界で大問題となりました。 日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会から問題ありとの声明が相次ぎ、日本母性保護産婦人科医会は、以下のような声明で、この事態を全面的に批判しました。 《
このように稀で、救命する可能性の低い事例で医師を逮捕するのは産科医療、殊に地域における産科医療を崩壊させかねない。》
現に、この事件を契機に全国あちこちで昼夜を問わず、地域医療に貢献している医師たちは 《 こんなことではやっちゃおれん !! 》
とその診療意欲は著しく低下し、産科領域から撤退する産婦人科医が続出しました。 ちなみに、大分県でもそれが現実となってきています。お産を扱う医者が極端に少なくなってきています。2004年12月には、中津・国東市および佐伯市には、それぞれ10名、6名の産科医がいましたが、2008年1月には、何と、それぞれたった1名となってしまいました。 このように大野病院の
“ 事件 ” 以来、全国から産科領域から手をひく医師が一挙に増えました。この “ 事件 ”
以外に、医療の領域にも競争原理=市場経済主義が次々に導入されることにより、勤務医は疲弊し、全国的に病院閉鎖や診療科の縮小・閉鎖が起こり、大問題となっています。 このような中で、国もどうかしなければならないということで、冒頭の
『 試案 』 を出してきたのです。
2月22日(金) 日本の医療が危ない! (3) 医療事故
§今、医療界では何が問題となっているのか ②
―医療事故調査委員会 ( 仮称 )
の在りようについて
- 医師法21条の届け出にしなければならないケースの基準をより鮮明にすべきである。
福島県立大野病院の “ 事件 ”
をきっかけに、医療界に大激震が走ったことを考えれば、1994年5月に公表された日本法医学会の 『 異常死ガイドライン 』
が適切妥当なものとは判断しがたい。 法律の専門家でない臨床医が、医師法21条を読めば、《 犯罪の臭いがする 》
場合に届け出れば良いという考え方が一般的である。このガイドラインでは、大野病院 “ 事件 ”
などの多発は防ぐことはできない。医療に大して詳しくない警察は、予期せぬ死亡例についても、その取り締りをしようとする犯罪捜査の感覚で対処することはあって然(しか)るべきことである。そのような点では、法医学会のガイドラインは不適切なものとして、医師法21条の運用に当たっては処断すべきであると考えます。
- 事故調査委員会の業務範囲は、死因究明と医療事故の発生に立った原因分析を行い、業務に精通し、もって日本の臨床医学の質の向上に資することを基本的任務とすべきである。
(1)届け出を怠った場合とは何らかのペナルティーを科すという戦前の警察国家的発想であれば、現場は萎縮してしまい、患者さんのタライまわしが必然的に起こることが予測される。保身医療が横行し、本来の医師としての役割が変質し、委員会の目的が実現できなくなる。 (2)民事裁判に証拠としての採用は避けられないと考えられるが、行政処分や刑事裁判に
“ 活用 ”させるのは止めるべきである。これを恐れて、届け出の “ 公文書偽造 ” が頻発し、本来の委員会の目的が失われることとなる。
- 厚生労働省に委員会を設置すべきではない。
少なくとも内閣府の下に置き、公正取引委員会のような各省府から独立した予算と権限をもった委員会とすべきである。
- 委員会には遺族の立場を代表する者は入れるべきではない。
遺族を委員会の一員にすることが、本来の医療関連死の原因究明や不幸な事例再発防止に寄与するとは考えにくい。むしろ、市民の代表(患者団体や被害者団体、あるいは医療に関するNPO法人など)の方が冷静な判断ができると考えます。
以上
2月23日(土) 見る・観る・聴く・嗅ぐ (6)
§東大寺南大門の仁王像に想う
沖縄でまた、婦女暴行が起きました。このことにヤマトンチュウはあまりにも無神経であり過ぎるのではないでしょうか? 他人のことで自分とは関係ないとでも思っているのでしょうか? 日本人は怒りを忘れた民族なのでしょうか? それとも国による庶民に対する経済的な締めつけで、あきらめきっているのでしょうか? もしあなたの子どもが娘さんが強姦されたら、黙っておられないのではないでしょうか? 他人の痛みは自分の痛みと少しでも感じる想像力は、これまでの教育で喪失させられたのでしょうか? 東大寺南大門には運慶・快慶の合作である仁王像があります。小生、松本文六は、この仁王像は、鎌倉初期の世に対する憤怒の感情を表現したものだと考えています。 何故あれ程の表情が寺の入口にあるのか? これは相当に深く研究するに値することだと松本文六は考えます。
小生、松本文六は、白内障でどうかして欲しいという患者さんとこういう会話をよくします。患者さん、手術するとあなたの顔のしわがしっかり見えますよ、それにあなたがしわがなくきれいな人だなあと思っている人のしわもよく見えてがっかりするかもしれませんよ。そういうことででも手術をしたいというのであればいいんじゃないですか? と話します。 大分県で生れた高名な日本画家、高山辰雄氏の朦朧画は、もしかしたら、白内障の視点で描かれているのではないか? と邪推しています。彼の透明感のある絵には邪心がない、あまりにもきれいすぎます。小生、松本文六には雲上人の絵だと解釈しています。彼の絵には怒りや憤りがないからだろうか。 そういう意味では小生にとって東大寺南大門の仁王像は、小生、松本文六は一度しか見ていませんが、強烈な印象を心に刻みつけられています。 次に会う時には、どういう感慨を持つのでしょうか。何となくもう一度会えば、もっと心がときめき、生気をいただけれるのではないかと思っています。
2月24日(日) 見る・観る・聴く・嗅ぐ (7)
§ズサンな “ 報告書 ” に1億円!
先日、夜の9時、テレビをつけると、道路財源をめぐっての与野党のせめぎ合いがあっていました。 1000頁にものぼる報告書に、随意契約で1億円の研究費が出費されていたといいます。しかも、この報告書の半分は、参考文献、参照文献など外部資料の
“ 紹介 ” で占められていると民主党の議員が追及していました。さらに、この報告書を出した官庁=特殊法人(国土交通省所管の “ 公益法人 ” )
現理事長は建設省の天下りで給与年間1800万円、三度目の天下り先といいます。この天下り官僚の給与と “ 研究 ”
費用はすべて、税金より賄(まかな)われています。 もっと驚くことは、この海外道路情報に関する調査はわずか3ヵ月ばかりで “ 完成 ”
し、製本したのはたった3部だけという。民間に補助金を出した時には、しつこく監査するにもかかわらず、身内にはこんな杜撰 ( ずさん ) なことがまかり通るとは
!! しかも、自動翻訳されたとみられる意味の通じない部分や、根拠のあやしい引用もみられるといいます。 これこそ厚顔無恥の輩 ( やから )
のやること以外の何物でもありません。東大寺南大門の仁王様はその金網から出てきて、このような輩 ( やから )
をそれこそ完膚無きまで叩きのめして欲しいものです。 仁王様の力でなく、松本文六がやればいい!
という声も聞こえてきます。そうしないと、松本文六は想像力のない人間だと侮られますよ! という声も聞こえてくる気もします。
2月25日(月) 人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
§ 五島列島 ①
23、24日の2日間、個人的な休暇をとって、五島列島、福江島に行ってきた。椿をみたいということで連れあいと出かけた。
長崎港に午前11時に集合ということで、長崎までは車で行くこととした。
片道240キロ位だろうと推測して出発したが、実測273キロだった。6時40分に自宅を発ち、長崎港に9時25分に到着。途中、武雄川登で一休憩して行ったので、平均時速約99キロで行ったこととなる。
船で福江島に渡るので遅れたら置いてきぼりにされると考え、余裕をもって到着。高速を出て、すぐのところに長崎港があった。港の周辺を散策しながら11時まで過ごす。海は時化
( しけ )
ており、連れあいは船酔いに陥っていたが、軽くてほっとした。小生は、元気そのものであったが、坂本龍馬が洋船にあこがれ、勝海舟とともに行動した時にも、船に一時は酔ったことがあるということがふと憶い出して、当時の船であれば、このような時はかなりひどい船酔いに陥ったのだろうなと想った。
あとで聞くと、3~4メートルの波だったらしく、小生たちが出発したあとの船は出港できなかったという。運が良かった。
五島列島で想い出すのは、民主党に五島正規という衆議院議員がいた。ある時、彼に、五島列島に関係があるのですか? と聞いたところ、そこの出だということであった。福江島に残る城、最後の殿様は五島家だったという。
彼はクリスチャンであったかどうか、当時、小生、松本文六は五島の歴史を知らなかったのでそこまで踏み込んで聞きはしなかったが、この五島はいわゆる
“ 隠れキリシタン ”
の発祥の地だったようである。
ひどい迫害を受けた土地でもあるが、未だに福江島の住民の6分の1がクリスチャンであるという。地図でみせられた教会の多さに瞠目
( どうもく ) させられた。
2月26日(火) 人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
§五島列島 ②
今でこそ、信教の自由が保障されているが、昔はとんでもないことが行われていたようだ。高校の世界史の歴史の中で、キリスト教がイスラム教徒を異教徒として討伐するために、1096年から13世紀後半に至るまで7回にわたって行われた遠征を教わった時、キリスト教は愛の教えを説いているのに、どうしてこのようなことをしたのかとひどく途惑い、大きな疑問をもっていた。それについては、教師は何も教えてくれなかった。 大学に入学して、留学生に誘われてキリスト教会に一時出入りしていたが、牧師と司教の区別も判らないまま、それを止めてしまった。それは、そこの牧師と司教があまりにも俗っぽいことに気がついたからである。それ以来、小生、松本文六は彼らのことをエセ坊主と呼んで、彼らと親しくなる気にはなれなかった。その後、真摯なキリスト教徒にお会いして、彼らをエセ坊主と呼ぶのはやめてしまった。 ちなみに、牧師はプロテスタント教会の聖職を指し、カトリック教会のそれを司教という。 また、豊臣秀吉が、1587年に宣教師追放令を発布し、キリシタン弾圧を始めたのは、彼らが封建支配に反対し、暴動を起すのではないかと恐れたと高校時代に教わったが、その弾圧のすさまじさには、この年65才になってはじめて知ることとなった。だから、人は旅をやめられないのだと思う。 福江島の堂崎天主堂には
“ 26聖人 ” の1人となって殉教した 『 五島ヨハネ像 』
をはじめとした五島のキリシタンの歴史を語る資料館と記念庭園がある。この五島ヨハネ草庵は、1597年大阪で捕えられ、長崎まで800キロ、33日間にわたって歩かされ、十字架上で殉教したという。その時19才の青年であったという。時に1597年、関ヶ原の戦いの3年前である。 1614年、徳川幕府のキリシタン禁止令発布。五島におけるキリシタン弾圧も熾烈さを増し、多数の殉教者を出しながら壊滅状態となり、約160年の間信徒は途絶えてしまったという。
1797年、弾圧の激しさとともに大村藩の外海 ( そとめ ) から五島藩への農民の移住が行われ始め、再び五島のキリシタンの歴史も始まったという。新天地での平和な生活を夢みていたらしいが、《
聞いて天国、来てみりゃあ地獄 》 だったという。それは荒れた土地の開墾しか許されなかったからだ。
ガイドの説明を居眠りの中で聞いていたら、このあたりの事情は遠藤周作の 『 沈黙 』
に詳しいらしい。小生、松本文六は未だそれには目を通していない。遠藤周作の代表作らしいが。
2月27日(水) 人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
§五島列島 ③
福江島の北にある久賀島には、すさまじい建物があった。楠原の牢屋跡で、1868年、ここにキリシタン200名が投獄されていたという。 幕府は、キリシタン撲滅の一手段として宗門寺法を定め、子供が生れると、宗門帳に記入させ、死ねば僧を招き、お経をあげ
『 キリシタンにあらず 』
の証明がなければ葬式も許されなかったという。また、2年に何回か、お寺に参り、僧にお布施をし、神棚を設け、仏壇を備え、香・花を供えることを義務づけたという。 この法式に則
( のっと ) ることは、キリスト者には耐えられず、これを拒否したため、1868 ( 明治元 )
年の迫害が始まったという。 1868年11月12日、23人のキリシタンが捕えられ、福江城下の牢に入れられ拷問にかけられた。その拷問には、呵責、火責め、算木責、晒し責、押しから責、竹責、十手責、氷責、水責などだった。
- 算木責 …
三角に削った木を3本並べ、その上に正座させ、大石 ( 2人で持ち上げうる位のもの ) を2個膝の上に重ねる。石をゆさぶって痛めつける。
- 晒し責 …
裸にして木にしばりつけ、吹雪の夜、丘の上に立たせる。
- 押しから責 …
算木責の一種で、算木の上に膝を立てさせ、下腱に石を積み、腱と脚の間に棒をさし入れて前後に動かして苦痛を与える。
- 竹責 …
周囲9~12センチ、長さ150センチ位の青竹で力まかせに背中や胸を叩く。3~4回叩くと割れてしまう。
- 十手責 … 耳、口等に十手を押し込む。鉄の十手で叩く。
- 火責 …
真赤に焼けた木炭を掌にのせ、火吹竹でプープー吹く。火は掌の上で燃え、皮膚を焼く。
その後、全島のキリシタンの老若男女、幼児までが、合計
200人近い信者が、前の23人とともに久賀島の牢にとじ込められた。その牢の広さは6坪で、中央を厚い板で仕切り、男牢と女牢に分け、二百数十人を押し込め、ピッタリと戸を閉め切ったという。言語に絶する状況であったという。食べ物は小さなさつまいもを朝に一切れ、夕に一切れ支給。老人、子供、幼児は飢えと寒さのため次々に死亡。大小便たれ流しだった。最初に死んだ79才のパウロ助市の死骸は5昼夜牢内に棄ておかれていたため、大勢に押し潰されて平たくなっていたという。このような状況の中で蛆虫が湧き、中には13才のドミニカは下腹部を噛み切られて死亡したという。 まるで、ヒットラーのユダヤ人の虐殺のガス室よりももっともっと悲惨で残酷な恐るべき弾圧だった。 牢内に囲まれること8ヵ月、一般信者はすぐ解放されたが、リーダー達はそれから2年有余後に解放されたという。その間牢内で死亡した者39人、出牢後死亡した者4人を数えたという。 35才のリーダー惣五郎の拷問はすさまじく、6種類の拷問にかけられたが、それらすべてに耐え、《
どうされてもキリスト教を棄てませぬ 》
と最初の信念を守り通したという。 このようなキリスト者の固い志にまみえると、かつて60年安保世代のリーダーの1人だった故
島成郎氏の言葉を想い出す。1970年代半ば、注射による筋短縮症の検診で訪れた沖縄の地で、保健師さんの紹介でお会いした折、何の話だったか想い出せないのだが、《
変な左翼よりもキリスト者の方がよっぽど信用できるよ!》 という言葉だ。 “ 牢屋の窄 ( さこ ) ”
の狭い空間の中で信念を曲げなかった人たちの姿と島氏の言葉が二重写しとなって目に浮かんで来る。 すごいなあ! と想う。このような話を幼児期から聞いた子供達の目はいつまでも澄んでいるのだろう。
2月28日(木) 人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
§五島列島 ④
五島は、日本のカトリックのメッカという気がする。あの狭い島々の中に何と五十余りの教会があり、すさまじい弾圧の歴史を伴っているのであるから。 日本とカトリックの出会いは、ポルトガル人が種子島に上陸した1543年のわずか6年後の1549年であった。この年の8月15日をフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した日とするのがカトリック関係者の中での了解事項らしい。ザビエルが1546年、マラッカでヤジロウという日本人に会って日本への布教を思い到ったという。 その後宣教師が渡来し、布教活動を行い、徐々に信徒が増えていったという。1562年、五島の領主宇久純定が病気のため宣教師トーレス神父に医者の派遣を依頼。日本人医師ディエゴを派遣したところ、純定は数日で全快し、五島での布教の許可をしたという。ある本によると、1563年、肥前大村藩主大村純忠が改宗したのをはじめ、高山右近、大友宗麟などが相次いで受洗したという。 しかし、1587年、豊臣秀吉は九州箱崎
( 福岡市 ) で突然宣教師追放令を出し、キリシタン弾圧に乗り出した。その10年後の1597年に 《 日本・26聖人 》
殉教。この時、五島出身のヨハネ草庵も殉教する。 さらに、1614年1月31日、徳川家康はキリシタン禁令を発布。全宣教師を追放し、密かに宣教を続けていた神父や修道士、彼らをかくまった信者たちは、次々に処刑された。踏み絵制度などで、この禁教令は年々厳しさを増し、また、懸賞金つきで宣教師を捕え処刑したりした。これらの制度は250年間続いたという。 しかし、この間、信仰は深く深く潜行し続けて行った。このような信者を
“ かくれキリシタン ” とか 《 はなれ 》
とか呼ばれ始めたのはいつ頃だったのだろうか? 表向きは仏教徒を装いながら、秘密裏にキリスト教信仰を守り続けた。この “ かくれキリシタン ”
が歴史の表舞台に立ったのは、1865年2月19日、長崎にフランス寺と呼ばれた大浦天主堂の建物ができた時である。キリスト教を密かに信仰していた農民十数名が自らキリシタンであることを告白したことに始まるという。 その3年後の1868
( 明治元 ) 年に先に述べた久賀島の “ 牢屋の窄 ( さこ ) ” 事件が起きている。また、1870 ( 明治3 )
年には浦上のキリシタン約3000名が流刑にあったという。 ところが、このようなキリスト教徒への弾圧と迫害が人権侵害として外交問題に発展し、1873 (
明治 6 ) 年に250年以上続いたこの “ 禁教令 ”
は終りをつげた。 五島にキリスト教を伝えたのは、アルメイダとロレンソと堂崎天主堂の庭園に記されているが、このアルメイダが大分に南蛮病院を開いたというアルメイダと同一人物かどうかは、小生、松本文六は知らない。
2月29日(金) 人は旅をして気をもらう (1) 五島列島
§五島列島 ⑤
たった2日の旅の想いを長々とここまで記すとは…。 元々は椿の里をみに行ってみようかというところからこの旅は始まった。五島の椿は、玉之浦椿といって、花弁の外側が白の白覆輪を持った椿である。時期が早かったのか、椿の原生林に行ってもパラッパラッとしか見れなかった。
キリシタン弾圧と迫害の歴史とは別に、五島は、遣唐使にも関係した地であるということで、改めて、日々の診療の中で、歴史と程遠くなっていることに唖然とさせられた。日常の中に埋没してしまって、感性が少々鈍くなっているのではないかと実感させられた旅であった。 ところで、旅の中で、その地方の食は一つの楽しみでもある。小生、松本文六は、食べ物の好き嫌いは全くといっていい程ないので、海外旅行でも、その地の食べ物を食べ、日本食の梅干しやインスタント味噌汁などは持ち込んだことは全くない。 五島での味覚はなかなかのものであった。夕食はホテルではなく、バスで20~30分程離れた海水浴場傍の椿茶屋というところでとった。3分の2畳程の大きな囲炉裏に4脚の大きな網を据え、その上で魚・貝などを炭火で焼く。最初の焼きあがりは鯵と緋扇貝と骨付きのカシワだった。鯵が家で食べるのと違って軟らかく香ばしかった。獲れたての魚は焼けばこんなに軟らかいのかと認識を新たにした。他に大きなイカを10人で分け、野菜、ソーセージなど焼肉をするように炭火で焼くのである。最後には五島牛が出たが、軟らかいのに驚いた。特段の手当はしていない肉ということだった。この軟らかさを知ると、アメリカで革靴をかじっているのではないかと思ったステーキのことを想い出した。椎茸、野菜他すべて地元産のものということで何か嬉しくなってしまった。これこそ地産地消だ。土産に買ったカマボコは色あいはよくなかったが、一切の添加物のない五島産のもので、食べると、これがまた味がいい。近所で購入したカマボコとどうしてこうも差があるのかと感心してしまった。 椿には縁がなかったが、キリスト教の弾圧と迫害の歴史と五島の食文化に接することができたのは、わずか2日間であったが、何か心が豊かになったような気がしてひどく嬉しくなった。
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